小説「新・人間革命」源流 52 2016年11月2日

ナラヤンは、静かな口調で山本伸一に語り始めた。
「獄中では独房に入れられ、拷問に近い責めを受けたこともあります。家族とも会えず、手紙のやりとりも許されない。
手紙は外の世界とのコミュニケーションの手段として重要なのに、それが許されないのは辛かった」
その苦境が鋼のような不屈の意志を鍛え上げたのだ。日蓮大聖人は「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と仰せである。
老闘士は、こまやかな気配りの人であった。途中、何度も菓子を勧める。
「インドのお菓子です。わが家の手製です。召し上がってください。甘いですよ」
伸一が礼を述べて、語らいを続けようとすると、ナラヤンは、「あなたは、先ほどから、全然、召し上がっていませんよ」と抗議する。
「いや、今はお話が大事なので。探究、学習の最中ですから」と応えると、不屈の人のにこやかな微笑が伸一を包んだ。
強い心の人だから、人に優しくできる。
伸一は、信条について尋ねた。
「時代のなかで変わっていきましたが、今は、ガンジーの思想が私の信条です。
それは釈尊の教えにも通じます。その思想とは、ズボンは膝までの半ズボンで、上は何も着ない、半裸のガンジーの姿に象徴されるように、裸の思想ともいうべきものです」
裸の思想──その意味するところは深いと伸一は思った。イデオロギー武装し、人間を締めつける甲冑のような思想ではない。
人間の現実を離れた観念の理論の衣でもない。
ありのままの人間を見すえ、現実の貧しさ、不幸から、いかにして民衆を解放するかに悩みながら、民衆と共に歩み、同苦するなかで培われた思想といえよう。
その思想の眼から、ナラヤンは、インド社会が直面する主要な問題は「カースト制度」の弊害であると指摘する。
そして人間と人間を生まれで差別し、疎外し合うこの制度が、仏陀の国に、いまだ根強く残っているのは悲しいことであると、憂えの色をにじませた。