小説「新・人間革命」源流 57 2016年11月8日

ナーランダー遺跡の案内者が説明した。
「僧院では、入学一年目の学僧は、個室をもち、寝具、机が与えられます。
しかし、研学が進むにつれて共同での使用となり、卒業時には、真理にのみ生きる人間として巣立っていったといいます」
つまり、精神の鍛錬がなされ、モノなどに惑わされることなく、一心に法を求め抜く人格が確立されていったということである。
人格の錬磨がなされなければ、いかに知識を身につけても、真に教育を受けたとはいえない。
戸田城聖は、創価学会を「校舎なき総合大学」と表現した。
仏法の法理を学び、人間の道を探究する学会の組織は、幸福と平和を創造する民衆大学といえよう。
山本伸一は、この「校舎なき総合大学」は、人間教育の園として、時とともに、ますます大きな輝きを放っていくにちがいないと確信していた。
ナーランダーの仏教遺跡を見学した一行は、パトナへの帰途、休憩所に立ち寄った。腕時計を見ると、午後五時半である。
口ヒゲをはやした休憩所の主が、どこから来たのかと尋ねた。年は四十前後だろうか。
伸一が、日本からであると伝えると、主は両手を広げて驚きの仕草をした。
「それなら、ぜひ、わが家に寄っていってください。この目の前です」
「ご厚意はありがたいのですが、夕食の時間も迫っているので、ご家族の皆さんにご迷惑をかけてしまいます」
「いいえ、家族も大歓迎します。インドでは、お客さんと教師と母親は神様といわれているんです。
ですから、こうして歓迎することは、神様を敬うことにつながるんです」
バジパイ外相を訪ねた折にも、聞かされた話である。
こうした考え方がなければ、初対面の人を自宅に招いたりはしないだろうし、あえて関わろうとはしないにちがいない。
伸一は、宗教が人びとの精神、生活に、深く根付いていることを実感した。
宗教をもつことは、生き方の哲学をもつことである。