小説「新・人間革命」源流 68 2016年11月22日

インドを出発する十六日、山本伸一カルカッタから日本へ電報を打った。
離島の沖縄県久米島長崎県五島列島愛媛県・中島、広島県厳島をはじめ、各地で苦闘し、広布の道を切り開いてきた同志に対してである。
「アジアの広布の道は開かれた。島の皆さまによろしく。カルカッタ山本伸一
広宣流布の舞台は、世界に広がった。しかし、それは、地球のどこかに、広布の理想郷を追い求めることではない。
皆が、わが町、わが村、わが島、わが集落で、地道に仏法対話を重ね、信頼を広げ、広布を拡大していってこその世界広宣流布なのである。
日々、人びとの幸せと地域の繁栄を願い、激励に、弘教に、黙々と奮闘している人こそが、世界広布の先駆者である。
伸一は、そうした同志を心から励ましたかったのだ。
この日午後四時、訪印団一行は帰国の途に就くため、ICCRの関係者らに見送られ、カルカッタの空港を発ち、香港へ向かった。
飛び立った搭乗機から外を見ると、ガンジスの支流が悠揚と緑の大地を潤しながら、ベンガル湾に注いでいた。
一滴一滴の水が集まり、源流となってほとばしり、それが悠久の大河を創る。
伸一は、インドの同志が、新しい世界広宣流布の大源流となっていくことを祈り、懸命に心で題目を送り続けた。
その後、インド創価学会(BSG)は、一九八六年(昭和六十一年)に法人登録された。
八九年(平成元年)にはインド文化会館がオープン。九三年(同五年)には創価菩提樹園が開園し、仏法西還の深い意義をとどめた。
伸一も、九二年(同四年)と九七年(同九年)にインドを訪問し、激励を重ねた。
そのなかでメンバーは、一貫して、発展の盤石な礎を築くことに力を注いできた。
一人ひとりが信心の勇者となり、社会の信頼の柱になるとともに、模範の人間共和の組織をつくりながら、二十一世紀をめざしていった。
堅固な基盤の建設なくしては、永遠なる創価の大城を築くことはできないからだ。