〈随筆 永遠なれ創価の大城 13〉 創価の大誓願2016年 11月22日

世界広布のロマンに生き抜け!
皆が「青年の心」で平和の大航海の指揮を
 
わが生命の炎を見よ! 錦秋の木々も生け垣も目の覚めるように赤々と燃えて(池田先生撮影、16日、創価大学で)
      
我らの「創立の父」は、正義の中の大正義の師子王であられた。
戦時下の法難で囚われた獄中の訊問にあっても、牧口先生は「世界広宣流布」の大確信を悠然と語られていた。
当時の調書を繙けば、日蓮仏法は「全世界の人類が即身成仏」を遂げるためにあると、明確に宣言されているのだ。
私は、この先師の師子吼を偲びつつ、今月十四日は広宣流布大誓堂で、殉教の日であり学会創立の日である十八日は恩師記念会館で、報恩謝徳の祈りを捧げた。
そして、先師に連なる共戦の全同志の健康と幸福と勝利を御祈念した。
     
また十六日には、牧口先生を顕彰する八王子市の東京牧口記念会館を訪問するとともに、紅葉もまばゆい創価大学キャンパスを視察した。
この日は、一九五〇年(昭和二十五年)に、恩師・戸田先生から、創価大学の構想を受け継いだ忘れ得ぬ原点の日である。
先生の事業が最も厳しい激浪の時代であった。西神田の会社の近くにある、日本大学の学生食堂で安価な昼食をとりながら、先生は言われた。
「牧口先生の偉大な教育思想を、このまま埋もれさせるようなことがあっては、絶対にならない。人類の未来のために、必ず、創価大学をつくらねばならない。  大作、頼むよ」と。
あれから六十六年──両先生の遠大な夢の学舎は、輝き光っていた。
行き交う学生も、向学の息吹にあふれ、嬉しかった。明春、第一期生を送り出す
看護学部のスタッフの方々に感謝を伝えることもできた。
わが創価教育の大城には、人類の希望の未来が幾重にも育っている。
 
新時代へ共々に
先日、SGI(創価学会インタナショナル)の秋季研修で来日された世界六十カ国・地域のリーダーが、わが埼玉の宝友と県下三十三カ所で、麗しい交流交歓会を行った。
心躍り、歓喜あふれる座談の中で、入会を決意されたご友人も大勢おられたと伺っている。
思えば六十五年前の秋から、戸田先生の名代として私は埼玉の川越など各地へ激励に走った。
まさに、“村八分”の圧迫を受けながら、健気に信心に励んでいる同志もいた。私たちは共に御書を拝し、約し合った。
──必ず素晴らしい世界広布の時代が来る。その時を目指して、励まし合い、断じて退転せずに走り抜こう、と。
苦楽を分かち合い、広布の道なき道を開いてくれた草創の友のことは、わが胸奥から離れない。
先駆の父母たちが夢に見て、歯を食いしばって祈り抜いてきた「創価の世紀」が、遂に始まっているのだ。
     
「嵐は誉れ」──これが創価の負けじ魂である。
牧口先生は、日本海に臨む新潟県の荒浜(現在の柏崎市内)で生まれ、十三歳にして単身、北海道に渡られた。苦労を重ね、真金の人格を鍛え上げられたのである。  
学会創立から三年後(一九三三年)、牧口先生は戸田先生を伴って故郷の荒浜を訪れ、知人を折伏されている。
牧口先生を生んだ柏崎の地には、先生のお名前を冠した記念墓地公園の建設が始まり、地元の方々も温かな期待の声を寄せてくださっている。
戸田先生は、荒浜への師弟旅の九年後、生地の石川県・塩屋(現在の加賀市内)を訪れている。
二歳の時、一家で北海道に渡って以来の帰郷だったようだ。軍部政府の弾圧で投獄される前年であり、法難の嵐を覚悟しつつ、日本海を見つめられたのかもしれない。
恩師生誕の地・北陸では、誓願の友が来月の総会に向けて、寒風にも負けず意気
軒昂に広布拡大へ奮闘してくれている。
 
一人立つ柱たれ
日蓮大聖人は、流罪佐渡の地で、「開目抄」に厳然と認められた。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書二三二ページ)
この御本仏の民衆救済の大誓願を受け継ぎ、一閻浮提へ慈折広布の大道を開いてきたのが、我ら創価学会である。
戸田先生が「地球民族主義」を提唱されたのは一九五二年(昭和二十七年)──
あの“二月闘争”の最中の、男女青年部の研究発表会であった。
人類は“地球を故郷とする一つの民族”との視座に立てば、あらゆる差異を超えて、共生していける。生命という共通の基盤に立つことこそが、平和の礎であろう。
御聖訓には、「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(同一三〇四ページ)と仰せである。
妙法を持つ人は皆、尊極の生命の宝塔であり、人間主義の柱である。
それぞれの地域にあって、広布の使命に一人立つ同志は、まさしく希望の柱だ。
苦難に負けない強さ、人のために尽くす生き方、その姿そのものが平和の柱なのである。
東日本大震災から五年八カ月──。東北の尊き同志は、一人ひとりが「福光の宝塔」と輝き、「地域の信頼の柱」と屹立している。
その不撓不屈の勝利の象徴たる新・東北文化会館が晴れ晴れとオープンした。
わが東北家族は、妙法の「変毒為薬」「三変土田」という現実変革の希望の力を、試練と戦う全世界の人びとに示し切っているのだ。
未曽有の災害を乗り越える中で、何とたくましく、何と慈愛深い、何と英知光る若人が育ってくれていることか。
恩師が願われた人材の城は、我らの東北天地にありと、私は叫びたい。
世界的課題である防災の取り組みでも、創価の青年たちの挑戦は、高く評価されている。
多事多難な人類の前途にあって、我らの「青年拡大」は、「地球民族の平和の柱」を打ち立てゆくことに他ならない。
 
生命尊厳の眼目
「創立の日」からの新出発を、私たちは教学部任用試験(仏法入門)で勢いよくスタートした。
新入会や会友の方々をはじめ、十一万人もの受験者の皆様方、そして共に学び支えてくださった先輩の皆様方を、心から讃えたい。
受験者には、伸びゆく未来部もいる。ご高齢の多宝の方々もおられる。“生涯勉強”と、最高の幸福学たる仏法を研鑽し、人生の錦?を一段と鮮やかに深められている。
御書には、「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(一一二五ページ)という甚深の一節がある。
永遠不滅の妙法と共に生きゆくならば、自らの仏の生命も永遠不滅の当体となる。
若々しく自他共に「常楽我浄」の軌道を進むことができる。
創価の師弟は、この正道を歩み抜いてきた。
仏法を学べば、勇気が湧く。信念が深まる。皆が生まれ変わった息吹で、「生命尊厳の哲理の眼目」となり、社会に蘇生の光を放ちゆくのだ。
この船で未来へ
私は、二十三歳の時、一詩を日記に綴った。  
──信仰あるが故に、大波にも、微動だにもせじ、永久の大船に乗りし故に──と。
一九五一年(昭和二十六年)一月、障魔の怒濤が襲いかかる中、戸田先生が青年
の私に、「一切の後事を頼む」と託された直後である。
学会には「生死の大海を渡るべき船」(御書一四四八ページ)たる、民衆救済の使命がある。
十年後、二十年後を見よ! 「永久の大船」たる学会の、未来の世界的発展を見よ!
この確信で、私は戸田先生をお守りし抜いた。師匠の誓願を我が誓願とし、一閻浮提広宣流布を目指して船出したのだ。
それは、一人ひとりと心を通わせ、仏性という無限に広がりゆく「心の財」を共に開きながら、全人類を平和と文化と教育で結ぶ大航海である。
その全てを託しゆく後継ぎの船長が、不二の弟子である青年たちだ。
若き創価世界市民による友情の拡大は即、人道の連帯の拡大だ。いかなる逆流にも流されず、地球社会を平和と共生へ前進させるのだ。
 「人道勝利の希望の大船」が、ここにある。
     
我らは、「歓喜の中の大歓喜」の仏の生命を説き切った大仏法と、正義の師弟という確かな羅針盤を持っている。
乱世の航海にあって、三障四魔という驕れる波浪に断固と打ち勝ち、平和と幸福の大陸へ確かな舵を取るキャプテンなのだ。
愛する青年たちよ!  青年の魂を持てる地涌の同志たちよ!
 「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)との仰せのごとく、たゆまず朗らかに、広布拡大の大誓願に勇んで躍り立て!
不思議なる縁に結ばれた我らは、「世界広布」即「世界平和」という人類のロマンに生き抜く旅を決意新たに始めよう。
栄光輝く創立百周年の大海原を目指して!