小説「新・人間革命」 大山 十 2017年1月13日

戸田城聖への追善の唱題のなか、山本伸一の瞼に、自分を見つめる恩師の顔がありありと浮かんだ。
師の声が耳朶に響いた。
「伸一、頼むぞ! 世界の広宣流布を。恐れるな! 堂々と使命の大道を征け!」
胸に勇気が湧いた。力が全身にたぎるのを覚えた。
私は戸田先生の弟子だ! 広宣流布に一人立った師子王の子だ! 何があっても、大聖人の仏法を、創価学会の精神をまっすぐに伝えていく! 尊い仏子である会員を守り抜くために戦っていく!
戸田の追善勤行を終えて帰宅した彼は、宗門との問題について思索を巡らしていった。
学会は、これまで宗門を最大に外護し、宗門は大興隆を遂げた。
また学会は、広宣流布をめざし、広く社会に仏法を展開することに最大の力を注いできた。
しかし、宗門僧らは、その言葉尻などをとらえ、教義の逸脱、謗法だと言って学会員を見下し、責め続けた。
彼らの姿には慈悲のかけらもなかった。
そうした横暴に、わが同志は、悔し涙を堪え、じっと耐えてきた。
それを思うと、伸一は居ても立ってもいられなかった。
学会は、僧俗和合のため、会員を守るために、事態を収束させようと、あらゆる努力を重ねた。
学会の対応についての、宗門側のさまざまな言い分も、あえて聞き入れた。
それでも執拗に学会攻撃が繰り返されてきた。
宗門には、もともと檀家制度の歴史のなかで培われてきた「僧が上」「在家は下」という考えが根強くあった。
学会の草創期から、僧たちが衣の権威をかざし、仏子である学会員を苦しめる事実が数多くあった。
それは、宗祖・大聖人の御精神に反する。
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく」(御書一三三七ページ)等の御文に明らかなように、僧も、在家も、本来、平等であるというのが大聖人の教えである。
人間の差別の壁を打ち破る、万人平等の法理こそが、日蓮大聖人の仏法である。