小説「新・人間革命」 雌伏 十二 2017年4月6日

田森寅夫は、歯を食いしばりながら信心を続けていくと、学校に給食のパンを卸せるようになり、また、外国人客も増えていった。
さらに、大手の洋菓子店へも卸すことになり、彼の店は、軽井沢を代表する老舗のベーカリーとして評判になっていった。
彼は、商売で実証を示すだけでなく、町の発展にも力を尽くし、地域の人びとのために献身した。
そうした姿に、学会への誤解や偏見は氷解し、多くの人たちが理解者となったのである。
山本伸一は、長野研修道場で田森夫妻と話し合うなかで、翌日、田森の店の二階
にある喫茶室で、地域のメンバーの代表を招いて懇談会を開くことにしたのである。
その席で伸一は、一九五七年(昭和三十二年)の夏、軽井沢に滞在中の戸田城聖のもとへ駆けつけた折に、恩師が語っていた言葉を紹介した。
「戸田先生は、山紫水明なこの地を愛され、『将来、ここで夏季研修会を開きたいな』としみじみと話しておられた。
ここに研修道場ができ、恩師の構想実現へ、また一歩、前進することができました。
やがて、長野研修道場には、全国、いや全世界の同志の代表が集うようになり、いわば、広宣流布の電源の地となっていくでしょう。
それだけに、この長野県に、世界模範の創価学会を創り上げてください。私も、全力で応援します」
この日の夜、研修道場では、地元の軽井沢・中軽井沢支部合同幹部会が行われていた。
会合の終了間際、会場に姿を現した伸一は、共に勤行した。
そして、ピアノに向かい、「うれしいひなまつり」や「月の沙漠」などを次々に演奏して励ました。皆の喜びは爆発し、会場は沸き返った。
志は、伸一の姿を瞼に焼きつけ、創価の師弟の大道を誇らかに歩もうと、決意を新たにするのであった。
いかなる権威、権力をもってしても、師弟の心の絆を断つことなど断じてできない。