小説「新・人間革命」 雌伏 三十四 2017年5月3日

青年たちは、山本伸一の言葉に大きく頷いた。質問した学生部の幹部が語り始めた。
「確かに、優秀で、すごいなと思っていたのに、退転していった人を見てみると、自分中心でした。
自己顕示欲が強く、皆と協調できず、先輩たちとも心を合わせていくことができませんでした。
結局、傲慢であったのだと思います。
また、そうした人のなかには、異性問題や金銭問題などで、周囲に迷惑をかけてきた人もいます」
伸一は、鋭い洞察であると感じた。
「君の言う通りだね。私もそのような事例を少なからず見てきました。本当に残念でならない。
自分中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。
つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見詰め、内省するという姿勢が失われていく。
また、自分の心がとなってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。
そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。
だから、誰からも信用されなくなり、清浄な学会の組織にいられなくなる──これが退転・反逆していく共通の構図といえます。
日蓮大聖人は、佐渡流罪のなかで、仏法を破る者は、外敵ではなく、『師子身中の虫』であり、『仏弟子』であると喝破されている。
このことは、広宣流布を進めるうえで、絶対に忘れてはならない。
そうした事態は、今後も起こるでしょう。
その時に、決然と立って、悪と戦い抜くのが真の弟子です」
やがて、学会支配を狙い、宗門僧と結託して暗躍していた悪徳弁護士らが仮面を脱ぎ、正体を明らかにしていくのである。
第二代会長・戸田城聖は、「青年訓」のなかで、「同信退転の徒の屍を踏み越えて」(注)と記している。
創価の同志の連帯とは、広布を誓願し、烈風に一人立つ、師子と師子とのスクラムである。
 
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「青年訓」(『戸田城聖全集1』所収)聖教新聞社