小説「新・人間革命」 雌伏 三十六 2017年5月5日

同志の中へ、心の中へ――山本伸一は、日々、激励行を重ねていった。
それは、創価の新しき大地を開くために、語らいの鍬を振るい続ける、魂の開墾作業でもあった。
激動の一九七九年(昭和五十四年)は師走に入り、慌ただしい年の瀬を迎えた。
十二月二十六日午後、伸一は、東京・荒川文化会館を訪問した。
この日の夜、荒川区民会館で開催される第三回鼓笛隊総会に出席することになっており、それに先だって、文化会館に集合している鼓笛隊や、地元・荒川区の同志を励ましたかったのである。
伸一の荒川への思いは、人一倍強かった。
五七年(同三十二年)七月、彼が選挙違反という無実の容疑によって逮捕・勾留された大阪事件から一カ月後の八月、広布の開拓に東奔西走したのが荒川区であったからだ。
横暴な牙を剥く権力の魔性と戦い、獄中闘争を展開した彼は、不当な権力に抗し得るものは、民衆の力の拡大と連帯しかないと、心の底から痛感していた。
ゆえに、人情味豊かな下町の気質を受け継ぐこの荒川の地で、広宣流布の大いなる拡大の金字塔を打ち立てることを決意したのだ。
彼は、一人ひとりに焦点を当て、一人を励ますことに徹した。全情熱、全精魂を注ぎ、一騎当千の勇者を次々と誕生させていった。
荒川は小さな区である。しかし、そこでの団結の勝利は、全東京の大勝利の突破口となり、必ずや全国へ、全世界へと波動していく。
伸一は、荒川闘争にあたって、ある目標を深く心に定めていた。
それは、一週間ほどの活動であるが、区内の学会世帯の一割を超える拡大をすることであった。
皆が、想像もできない激戦となるが、ここで勝つならば、その勝利は、誇らかな自信となり、各人が永遠に自らの生命を飾る栄光、福運の大勲章となろう。
御聖訓には、「強敵を伏して始て力士をしる」(御書九五七ページ)と。
伸一は荒川の同志には、困難を克服し、確固不動なる東京の王者の伝統を築いてほしかったのである。