小説「新・人間革命」 雌伏 五十九 2017年6月2日

奄美の女子部員が、フェリーで奄美大島の名瀬港を発ったのは、二月十五日の午後九時過ぎであった。
星々が、微笑むように夜空に輝いていた。
フェリーに十一時間揺られ、十六日朝、鹿児島に着き、空路、東京へ向かった。
羽田空港に到着したのは、午後一時過ぎであった。
そこから、奄美と交流のある江戸川区を訪れ、同区の女子部との交歓会、セミナーに参加し、夜、遂に念願の創
価女子会館の前に立ったのである。
気温は摂氏二度。吐く息が白い。二月の平均気温が一五度を上回る奄美では、体験したことのない寒さである。しかし、皆の心は
燃えていた。
山本伸一は、彼女たちが奄美大島を出発したことを聞くと、無事を祈念して唱題した。そして、南海の友には、東京の寒さは体にこたえるだろうと、温かいお汁粉を振る舞うように手配したのである。
創価女子会館でメンバーは、伸一の心尽くしのお汁粉に歓声をあげ、舌鼓を打った。
また、前年の五月に女子部長になった町野優子を中心に勤行を行い、誓いを果たした勝利の青春の喜びを噛み締めた。
さらに、会長の十条潔から、伸一の、奄美の同志への大きな期待を聞き、師との出会いに胸を躍らせるのであった。
翌十七日、午前中は、学会本部や聖教新聞社などを見学し、午後、貸し切りバスで、伸一のいる立川文化会館をめざした。
奄美の女子部は、まだかね」
伸一は会館で、一行の到着を待ちながら、周囲の幹部に何度もこう尋ねた。
交通の便もよくない離島にあって、ハブにも注意しながら夜道を歩き、同志の激励に、仏法対話に取り組んできた女子部員の奮闘を思うと、早く励ましたくて、じっとしてはいられない思いにかられるのだ。
信心は、年齢でも立場でもない。広宣流布のために、健気に戦い、未来への門を開く人こそが、最も大切な創価の宝である──それが伸一の実感であり、信念であった。