大白蓮華 2017年(平成29年)6月号(No.812)



 巻頭言   地涌の柱は揺るぎなし
                                         池田大作

 偉大な建築には、揺(ゆ)るぎない柱(はしら)がある。
 偉大な未来の大建設のために、偉大な哲学の柱を抱(いだ)き、偉大な社会の柱となって、二陣、三陣と躍(おど)り出ていくのが、創価地涌(じゆ)の人材群(じんざいぐん)である。

 「日本国の柱」いな、「一閻浮提(いちえんぶだい)の柱」として、御本仏・日蓮大聖人は、そびえ立たれた。
 御命(おんいのち)にも及(およ)ぶ竜の口の法難(ほうなん)に臨(のぞ)まれても、いささかも微動(びどう)だにされず、悠然(ゆうぜん)と言い放たれている。
 「今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし」(913ページ)

 その師子王(ししおう)の御姿(おすがた)に、兵士たちの方が顔色を変え、動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を起こした。やがて、次々に心を改めて、大聖人に信服(しんぷく)していったのである。
 大聖人は、ご白身の御振る舞いの如く「すこしも・をづる心なかれ」(1084ページ)と、我ら大東京の先達(せんだつ)たる池上兄弟(いけがみきょうだい)へ仰(おお)せになられた。
       
 この勇気を脈々と受け継いできたのが、学会精神である。いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)の風にも、創価の「信念の柱」は揺(ゆ)るがない。一貫して正義を堂々と訴えていく。だからこそ周囲の方が変わっていくのだ。
 「21世紀の平和と宗教」をテーマに、共に対談集を発刊したハーバード大学のハービー・コックス名誉教授の言葉が蘇(よみがえ)る。
 「臆病(おくびょう)の代わりに必要なものは、『人々の態度も考え方も永久不変(えいきゅうふへん)のものではない。彼らを変えることは必ずできるのだ』という強い信念です」と。


 地涌の柱と
   立ちにけリ
 恐るるものなく
    正義の師子規を


 わが同志は、岩盤(がんばん)に爪(つめ)を立てゆくような執念(しゅうねん)で、友の幸福と蘇生(そせい)を祈り抜き、地域の繁栄(はんえい)と安定を願って、入試実(だいせいじつ)の対話を貫(つらぬ)き通(とお)してこられた。
 ある時は冷笑(れいしょぅ)され、ある時は無視(むし)され、ある時は罵倒(ばとう)されながらも、それでも勇敢(ゆうかん)に、また忍耐強(にんたいづよ)く、語って語って、語り抜(ぬ)いてきたのである。

「労(ろう)をいとわず会いに行くことが広宣流布なり」
「声を惜(お)しまず言い切ることが立正安国なり」と。
        
 私の胸奥(きょぅおぅ)からは、この不軽菩薩(ふきょうぼさつ)さながらの気高(けだか)き父母(ちちはは)たちの姿(すがた)が離(はな)れることはない。
 そして今、そのたゆまぬ献身(けんしん)の行動に、心ある人々から「学会員こそ、わが地域の柱」と、絶大なる信頼(しんらい)が寄せられる時代に入ったのである。

 御聖訓には、「日蓮賤身(いやしきみ)なれども教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)の勅宣(ちょくせん)を頂戴(ちょうだい)して此の国に来れり、此れを一言(いちごん)もそしらん人人は罪を無間(むげん)に開(ひら)き一字一句(いちじいっく)も供養(くよう)せん人は無数の仏(ほとけ)を供養するにも・すぎたりと見えたり」(1121ページ)と宣言なされている。

 この大聖人に連なり立ち上がった我らは、「生命尊厳の哲理(てつり)の柱(はしら)」また「民衆の幸福安穏の柱」さらに「人類の平和共生の柱」と胸を張(は)って自負(じふ)したい。

 「祈って喋(しゃべ)れば、仏性の大歓喜が湧(わ)いてくる。この信心の喜びが燃えていれば、いくらでも仏縁(ぶつえん)を広げていけるんだよ!」とは、恩師の励(はげ)ましであった。
 大確信をもって、人生と社会の希望のビジョンを若人(わこうど)と共に、自信満々(じしんまんまん)と語りゆこうではないか!