【第20回】 世界一の学会家族 (2017年5月31日)

我らには「異体同心」の信心がある
広布の父母に最敬礼! 共に人生の凱歌を
 
 
 わが師・戸田城聖先生の言葉が今日も蘇(よみがえ)る。
 「我らは、久遠元初(くおんがんじょ)からの麗(うるわ)しき同心の友である。法華経の会座(えざ)で共に誓い合って、今また娑婆(しゃば)世界に涌出(ゆうしゅつ)したのだ」
 学会は、広宣流布の仏勅(ぶっちょく)に立ち上がった、世界で唯一(ゆいいち)の異体同心の和合僧団(わごうそうだん)である。「創価家族」と言われる通り、ここには、いずこにもまして温かな人間連帯がある。
 実の父母に限らない。壮年部・婦人部という、学会の父母が、男女青年部や未来部を「わが息子、わが娘」と、大切にしてくれている。真心の応援に包まれ、中部、北海道、関東、関西と、各地の青年大会も大成功である。
 多宝会・宝寿会・錦宝会の大先輩方の存在もまた、どれほど大きいか。
 さらに目を世界に転ずれば、192カ国・地域の同志が万人尊敬の励ましの輪を広げている。
 人類が夢に見た共生社会の縮図(しゅくず」)がここにある。この団結と和楽をもって、「立正安国」の建設に今日も走りゆく同志の皆様を、恩師も笑顔で見守られているに違いない。
 
白ゆりに幸光れ
 婦人部誕生の6月は女性の月である。
 6月4日に、世界の華陽姉妹の記念日を迎える女子部との、婦女一体の大前進の報告を、妻と嬉(うれ)しく伺(うかが)っている。
 1951年の6月10日、婦人部の晴れの結成に際して、戸田先生は和歌を贈ってくださった。
 
 「白ゆりの 
   香りも高き 
     集いかな 
  心の清き 
   友どちなれば」
 
 たとえ今、どんなに苦しくとも、悩みが深くとも、白ゆりのような清らかな信心があれば、断じて負けない。
 先生は草創のある日、涙ながらに苦悩(くのう)の来し方を語る下町の母を、全力で励まされた。
 「信心で勝とう! 時が来れば、全て懐(なつ)かしい思い出になるよ」
 この母は、庶民の都・足立で、恩師の指導通りに懸命に祈り、戦い、そして勝った。
 苦楽共に「今生人界(こんじょうにんかい)の思出(おもいで)」となり、永遠の「心の財(たから)」を積んで生命の凱歌(がいか)を轟(とどろ)かせる。これが信心の極意(ごくい)である。
 
 日蓮大聖人は、苦難の渦中(かちゅう)にあった池上兄弟と夫人たちに、団結の大切さを教えられながら、どこまでも信心第一に生き抜けと指導なされた。
 「たとえ、どんなに煩(わずら)わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい」(御書1088ページ、通解)
 苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目──誓願の祈りを根本に戦ってきたのが、広布の母たちなのだ。
                                     
 現実社会では、憎悪(ぞうお)や反目(はんもく)の争(あらそ)いが絶えない。その悲劇の流転に終止符(しゅうしふ)を打つ希望は、いずこにあるか。
 それは「哲学と勇気と慈愛」で結ばれた女性の連帯にこそある。
 私と妻は、ノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズさんと、友情を結んできた。
北アイルランド紛争の解決へ、対立する双方の女性を結集して、奇跡的な平和運動を成し遂(と)げた母である。
その聡明(そうめい)な眼(まなこ)は、“ウソは対立を煽(あお)り、民衆を分断させる元凶(がんきょう)である”と見破(みやぶ)ったのだ。
 彼女は語っていた。
 「『真実』はいつまでも隠(かく)すことはできません。人々の努力でウソの飾りがはぎ取られた時に、美しき心の泉から『希望』がわき出てくるのです」
 我らの創価の母が動き語る、賢明(けんめい)にして誠実(せいじつ)な言葉は、どれほど幸の仏縁(ぶつえん)を結んでいることか。
 
 ある初期の仏典には、こう説かれている。
 釈尊(しゃくそん)は「離反(りはん)した人々を結びつけ、仲よくしている人々をさらに仲よくさせ」「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語っている」と──。
 私たちの勇気の対話もまた、信頼を固め、友情を結び、乱世(らんせ)にあって、真実と希望の安全地帯をつくり広げているのだ。
 
君よ師子の如く
 6月6日は、殉教(じゅんきょう)の先師・牧口常三郎先生の生誕146周年である。
 先生は常々、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われ、壮年門下に一人立つ師子たれと示された。
 御書に、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(1124ページ)と仰せだ。
 
 眼前の戦いを、“ここが我が勝負なり!”と腹を決め、全力を尽(つ)くす。それが師子だ。
 壮年部は、社会のため、地域のため、広布のためにと奮迅(ふんじん)の勢いを出す。
 あの真剣な広宣の父の雄姿を見よ! 壮年部の堂々と戦う姿を見れば、家族も地域の皆も、安心する。勇気をもらう。
 
 日蓮大聖人が佐渡流罪中のことである。
 中興次郎入道(なかおきじろうにゅうどう)という年配の壮年がいた。裕福で心根も立派であり、地域からの信頼も厚い長老格の人物であった。
 この壮年が、世の風評(ふひょう)などに惑(まど)わされることなく、自らの曇(くも)りなき心で大聖人の人格に共鳴(きょうめい)し、「この方は、何かいわれのある方に違いない」と正義の声を上げたのだ。
 この一言に一族の人びとも従(したが)い、さらに大聖人を憎(にくし)み、危害(きがい)を加えようとする周囲の動きも収(おさ)まった。
まさに重鎮(じゅうちん)の一人の声──大確信の師子吼によって、皆の心を一気に善の方へ動かしていったのである。(御書1333ページなど参照)
 この次郎入道の夫妻が逝去(せいきょ)した後も、子息(中興入道)夫妻は、大聖人門下として強盛な信心を貫(つらぬ)いている。
 「声仏事を為す」だ。なかんずく、壮年の声の力は計り知れない。ゆえに、断じて声を惜(お)しむまい。声の限り、力の限り、創価の勇将が正義を叫んで、必ずや国土世間(こくどせけん)を仏国土に変えていくのだ。
 
「兄弟会」の誓い
 「学会家族」の団結を語る上で、私が常に思い起こすのが、「兄弟会」の存在である。
 慣れ親しんだ地を離れ、新天地で苦境(くきょう)に直面した時、懐かしき同志からの激励で、立ち直ることができた──。
 そんな報告を、幾(いく)たび伺ってきたことか。今、北海道から沖縄まで全国各地に兄弟会があり、その友情の水脈は世界中に流れ通っている。“支部兄弟会”などとして交流を深めている地域も多い。
 同志と結んだ「心の絆」は、環境や場所が変わろうと、切れはしない。物理的な距離は離れても、心はいよいよ近い。
 この「兄弟会」の模範(もはん)の原点といえば、東京・中野である。
 スポーツの集いと記念撮影会を行った折(1973年2月4日)、参加した青年たちを「中野兄弟会」と命名し、毎年、集い合うことを提案した。
一人ひとりが30年後の目標をメモに記し、誓いを共々に果たそうと呼び掛けたのである。
 同じころ、東京の港、渋谷、世田谷、杉並、目黒、大田等でも兄弟会が結成され、新宿、千代田等にも仲良きグループが誕生した。
後年、品川、豊島、北、足立、江東、墨田、荒川、また村山、町田、調布等々、新たな兄弟会が発足している。
 地涌の兄弟姉妹は、民衆の幸と平和を築く広布の誓いを貫いてきた。今や学会でも、社会でも、地域でも、欠かすことのできない大事な要(かなめ)の存在となってくれている。
 
 
 つい先日も、私と妻は目黒方面を走り、題目を送った(7日)。若き日に夫婦して住んだ三田も通った。地域に根差し、信頼と友情を広げる友の奮闘(ふんとう)が、嬉しくてならなかった。
 石と石を打ち合えば、火が生まれる。大使命に生き抜く意気と意気が共鳴すれば、生命の底から感激が湧き上がる。
 東京の歌「ああ感激の同志あり」を初めて会合で声高らかに歌ったのは、1978年の夏、場所は忘れもしない荒川文化会館であった。
 そこには、東京の支部長・婦人部長、男女の部長の代表が集っていた。誰もが歓喜に胸を高鳴らせ、声も限りに歌った。
 「仏の使いに 誇りあり/ほまれの東京 光あれ」と皆が心を一つにし、まさに“感激の同志”として勝利へ総立ちの出陣(しゅつじん)となったのである。
 
栄光の峰へ雄飛
 大切な広布の父母よ!
 “黄金柱の壮年部”と“太陽の婦人部”が、ガッチリと心を合わせ、青年と共に「空飛ぶ者の王」鷲(わし)の如く進みゆくのだ。そうすれば、いかなる群雲(ぐんうん)をも突き抜け、旭日(きょくじつ)に輝く栄光の峰(みね)に到達できないはずがない。
 我らには、異体同心の信心がある。あらゆる壁を打ち破(やぶ)る、不屈(ふくつ)の負けじ魂(たましい)がある。
無限の価値創造の大空を飛ぶ、慈悲(じひ)と智慧(ちえ)の翼(つばさ)がある。
 さあ常勝のスクラムをさらに強く、勇気の前進、また前進だ!
    
 未来まで
  凱歌の物語
     綴りゆく
  我らは地涌
    兄弟なるかな
 
 (随時、掲載いたします)
 仏典の引用は『パーリ仏典〈第2期〉1 長部・戒蘊篇l』片山一良訳(大蔵出版)から。