小説「新・人間革命」 雄飛 四十六 2017年8月8日

ワシントンDCに続いて訪れたシカゴでは、十二日、市内のマダイナ公会堂に五千人のメンバーが喜々として集い、シカゴ文化祭、そして記念総会が行われた。
二十年前、山本伸一がシカゴを初訪問した時、メンバーは十数人であったことを思うと、隔世の感があった。
この文化祭で、ひときわ彼の心をとらえたのは、サチエ・ペリーと、その七人の子どもによる演目であった。
彼女は十四歳の時に広島で被爆していた。
一九五二年(昭和二十七年)、米軍の軍人であった夫と結婚し、アメリカに渡った。
だが、待ち受けていたのは、夫のアルコール依存症と暴力、経済苦、子どもの非行、言葉の壁、偏見と差別であった。
七人の子どもを育てるために、必死に働いた。
一家の住む地域は、人種間の対立や争いごとが絶えず、夫から、護身用として銃を持たされた。
苦悩にあえぎ、恐怖に怯える毎日であった。
そんなある日、近所に住む日系の婦人から仏法の話を聞き、信心を始めた。
六五年(同四十年)のことである。
必ず幸せになれるとの励ましに心は燃えた。何よりも宿命を転換したかった。
題目を唱えると勇気が湧いた。
そして、教学を学ぶなかで、自分には地涌の菩薩として、このアメリカの人たちに妙法を教え、自他共の幸福を実現していく使命があることを知ったのだ。
人生の真の意義を知る時、生命は蘇る。
カタコトの英語を駆使して弘教に歩いた。
宿命は怒濤のごとく、彼女を襲った。末娘は病に苦しみ、手術を繰り返した。
夫のアルコール依存症、経済苦も続いた。
しかし、何があっても、断じて負けまいと、信心を根本に、敢然と立ち向かう自分になっていた。
七人の子どもたちも信心に励み、家計を支えるためにバンドを組み、プロとして活躍するようになった。
宿命と戦いながらも、希望と歓喜を実感する日々であった。
彼女は、この体験を、文化祭の舞台で読み上げたのである。
一人ひとりの蘇生の体験があってこそ、普遍の法理は証明されていく。