小説「新・人間革命」 雄飛 五十六 2017年8月19日
彼は、“太陽と情熱の国”メキシコの人びとの独特な心の豊かさにふれつつ、そこにある詩心や笑顔は、心と心の回路の開放を意味しており、平和の建設、文化の交流においても、この心の回路の開放こそが肝心であることを論じた。
また、メキシコの人びとがラテンアメリカ地域の非核化に、強いイニシアチブをとって努力を続けていることに深い敬意を表したのである。
ここでも、懇談会や御書研鑽会で入魂の指導を重ね、三月十二日に帰国した。
彼は、渾身の力を尽くして、日本の、世界の同志への激励行を続けてきたのである。
広布は、次第に上げ潮へと転じ始めていた。
伸一は、五月二日から五日まで、連日、記念勤行会、記念祝賀会等に出席した。
創価の師弟の陣列は、薫風のなか、さっそうと二十一世紀への行進を開始したのだ。
最初の訪問国であるソ連は、世界から非難の集中砲火を浴びていた時であった。
一九七九年(昭和五十四年)十二月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことから、八〇年(同五十五年)夏のモスクワ五輪を、六十を超える国々がボイコットし、ソ連は国際的に厳しい状況に追い込まれていたのである。
しかし、伸一は、すべてを政治的な問題に集約させ、対話の窓口を閉ざしてはならないと考えていた。
そんな時だからこそ、文化・教育を全面的に掲げ、民衆の相互理解を促進する民間交流に、最大の力を注ぐべきであるというのが、彼の信念であった。