小説「新・人間革命」 雄飛 五十七 2017年8月21日

今回の山本伸一ソ連訪問は、ソ連高等中等専門教育省とモスクワ大学の招聘によるものであった。
彼は、日ソ両国の教育・文化交流を推進し、そこから、新たな友好の道の突破口を開こうと決意していた。
一行は、富士鼓笛隊、創価大学銀嶺合唱団など、総勢約二百五十人という大訪問団となった。
そして、モスクワ大学の学生や市民と幅広く交流を図っていったのである。
伸一は、八日間のソ連滞在中、「子どものためのオペラ劇場」であるモスクワ児童音楽劇場を訪問し、同劇場の創立者であるナターリヤ・サーツ総裁と友誼を結んだのをはじめ、ソ連の要人たちと平和・文化交流をめぐって、次々と語らいを重ねていった。
P・N・デミチェフ文化相やV・P・エリューチン高等中等専門教育相、ソ連対外友好文化交流団体連合会(対文連)のZ・M・クルグロワ議長、ソ日協会のT・B・グジェンコ会長(海運相)、モスクワ大学のA・A・ログノフ総長、ソ連最高会議のA・P・シチコフ連邦会議議長らと、活発に意見交換したのである。
その間に、レーニン廟や、故コスイギン前首相の遺骨が納められているクレムリン城壁、無名戦士の墓を訪れて献花した。
なかでも前首相の墓参は、今回の訪ソの
大切な目的の一つであった。
コスイギンが死去したのは、前年十二月のことであった。
伸一は、前首相とは、二回にわたってクレムリンで会見していた。
中ソ紛争が深刻化するなかで初訪ソした一九七四年(昭和四十九年)九月の語らいで、率直に「ソ連は中国を攻めますか」と尋ねた。
その時、コスイギンは、「ソ連は中国を攻撃するつもりはありません」と明言した。
伸一は、彼の了承を得て、この年十二月の第二次訪中で、中国首脳にその言葉を伝えた。
中ソが戦争に踏み切ることだけは、なんとしても避けてもらいたい──伸一は、今の自分にできることに、力を尽くした。
平和の大道も、地道な一歩から開かれる。