小説「新・人間革命」 暁鐘 八 2017年9月8日

懇談会のあと、山本伸一の一行はフランクフルト市内にある「ゲーテの家」を訪れた。
三日前、伸一は、モスクワで、「トルストイの家」を視察していた。
戦後の混乱した時代のなかで青春期を過ごした彼は、この文豪らの作品をむさぼるように読み、未来に生きる希望と力を得てきた。
伸一は、文豪たちの住居を訪ね、その生活環境を知ることで、人間像と作品への洞察をさらに深め、機会があれば、青年たちに人物論や作品論を講義したいと考えていたのだ。
ゲーテの家」は、五階建てであり、一九四四年(昭和十九年)に戦火に焼けたが、復元されたという。
伸一たちは、台所から食堂、居間、音楽室、美術室などを、一部屋一部屋、見て回った。ゲーテは、当時、フランクフルトきっての富豪であったといわれ、調度品なども見事な光沢を放ち、風格を感じさせた。
書斎は四階であった。
この部屋で、『若きウェルテルの悩み』や畢生の大著『ファウスト』などの執筆を手がけていったのである。
部屋には、立って書くための机が置かれていた。ゲーテは、立って書くことを心がけていたという。ここにも、脈打つ青年の気概が感じられた。
トルストイゲーテも、当時としては、かなりの長寿であり、共に八十二歳で他界するが、生涯、ペンを執り続けた。
ゲーテは、「太陽は沈む時も偉大で荘厳だ」(注)との言葉を残している。まさに、彼自身の人生の終幕を予言しているようでもあった。
伸一は、今、自分は五十三歳であることを思うと、まだまだ若いと感じた。
人生の本格的な闘争は、いよいよこれからである。世界広布の礎を築くため、後継の青年たちの活躍の舞台を開くために、命ある限り行動し、ペンを執り続けなければならないと、自らに言い聞かせた。
伸一が西ドイツでの一切の行事を終え、次の訪問国ブルガリアへと飛び立ったのは、二十日の午後一時であった。
 
小説『新・人間革命』の引用文献