小説「新・人間革命」 暁鐘 六十四 2017年11月16日

「私は一人で立つ」「自分の足で、敢然と」(注)とは、カナダの画家で作家のエミリー・カーの心意気である。
信心を始めたテルコ・イズミヤは、たった一人から活動を開始した。日本から送られてくる「聖教新聞」を頼りに、知り合った人たちを訪ねては仏法対話した。
会合などには、国境を越えて、アメリカのバファローやニューヨークへ、長距離バスや飛行機で通わねばならなかった。
夫は、彼女の信心のよき理解者であり、よく車で送迎してくれた。
しかし、自分は信心をしようとはしなかった。
夫のヒロシ・イズミヤは、一九二八年(昭和三年)、カナダのバンクーバー島に生まれた。
彼の父は和歌山県からカナダに渡り、一家は漁で暮らしを立ててきた。
四一年(同十六年)、太平洋戦争が始まると、イギリス連邦のカナダにとって、日本は敵国となった。翌年、日系人は、ロッキー山中の収容所に入れられた。
厳冬の季節になると、零下二〇度を下回った。
カナダに忠誠を尽くすために、軍隊に志願する青年もいた。
それを「裏切り」として非難する人もいた。
日系人同士がいがみ合い、心までもが引き裂かれていった。
戦争が終わった。しかし、帰るべき家はなかった。
日系人は、日本に帰るか、東部に移住するか、選択を迫られた。
ヒロシの父は既に七十歳を超えており、「死ぬ時は日本で」との思いがあった。
一家は、父の故郷の和歌山県へ帰った。
やがてヒロシは、東京に出た。大学進学を決意し、進駐軍の基地にある店で働きながら勉強に励んだ。
不慣れな日本語の習得にも努力を重ね、慶応大学の経済学部に進むことができた。
卒業後、外資系の銀行に勤めるが、カナダへ帰って日本との懸け橋になりたいとの思いが募り始めた。
彼は、トロントに出張所のある日本の商社に勤務した。
戦争で苦しんだ人には、平和のために生き抜く使命がある。
 
小説『新・人間革命』の引用文献
注 ケイト・ブレイド著『野に棲む魂の画家 エミリー・カー』上野眞枝訳、春秋社