小説「新・人間革命」 勝ち鬨 十八 2017年12月27日

山本伸一は、青年たちと対話しながら、歌詞に筆を入れていった。
彼は、歌作りを通して、青年に学会の心を教え、創価後継の自覚を育もうとしていた。
「三番の『父母築きし 広宣の』は、『老いたる母の 築きたる』としよう。
こうした方が具体的なイメージが湧くだろう。
この『母』というなかに、父も、学会の草創期を築いてくださった、すべての方々も含めたいと思う。
ここは重要なところだよ。今、学会には、こうした立派な研修道場もあれば、各地にすばらしい会館もある。
学会は実質的に日本一の宗教団体となった。
しかし、ここに至るまでには、皆さんのお父さんやお母さんをはじめ、多くの先輩同志の苦闘があり、涙ぐましいドラマがある。
『貧乏人』や『病人』と蔑まれ、誤解から生じる偏見や中傷と戦いながらも、一歩も引かず、懸命に、意気盛んに、弘教に励んでくださった。
どんなに辛い思いをしても、同志には、大いなる希望があった。
それは、後継の子どもたちが、つまり君たちが、立派に、凜々しく成長し、広布と社会のリーダーに育ってくれるという確信であった。
だから、何があろうが、今に見よ! 負けるものか!と頑張ることができた。
そのお父さん、お母さんたちの期待を、絶対に裏切ってはならない。
もし、それを踏みにじるならば、恩知らずです。
どうか、皆さんは、草創の同志から、『見事な後継者が陸続と育った。これこそが最高の誇りだ!』と言われる、一人ひとりになってください」
伸一は、一番から三番までの歌詞に、一通り直しを入れた。
その数は、三十カ所ほどになっていた。
「まだまだ考えます。青年部のために、永遠に歌い継がれる、最高の歌を残してあげたいんだよ。
広宣流布の反転攻勢を宣言した証明となる歌を完成させるよ」
彼は、この日、夜遅くまで推敲を重ねた。一語一語に魂を注ぐ思いで考え続けた。