小説「新・人間革命」 勝ち鬨 四十二 2018年1月27日

山本伸一は、皆の幸せを願いつつ語った。
「私は、自分が非難の嵐にさらされても、なんとも思いません。もとより覚悟のうえのことです。
私の願いは、ただ皆さんが、御本尊の大功徳に浴しながら、ご多幸の人生を歩んでいただくことであり、それが、私にとって、何よりの喜びなのであります。
また、そうなっていただいてこそ、私が責任を果たせた証左といえます。
お一人たりとも、病気になったり、事故に遭ったりすることのないように、懸命に祈ってまいります」
彼の、率直な思いであった。ほのぼのとした心の交流が図られた勤行会となった。
いよいよ明日は、大分から熊本へ向かう日である。この夜、伸一は、大分の首脳幹部らに言った。
「なんとしても、明日は竹田に行きたい。熊本に行く前に、竹田の皆さんとお目にかかりたいんだ。最も苦しみ、悔し涙を流してこられた同志だもの……」
翌十二日朝も、伸一は、九州や大分の幹部たちと、これからの地域広布を展望しながら、懇談を重ねた。
そして、さまざまな報告を聴くと、自分の真情を漏らした。
「今まで苦しんできた同志のことを考えると、私は、それこそ一軒一軒、皆のお宅を訪ね、励まして歩きたい気持ちです。
しかし、日程的にも、それは難しい。そこで、今回、お会いできなかった人たちを、私の代わりに激励してください。私の心を伝えてもらいたいんです。
ともかく、広宣流布のために戦ってきた、尊き仏子である会員一人ひとりを大切にし、守り抜いていくことです。
それが、幹部の大切な使命だと思ってほしい」
大分平和会館には、伸一に一目会いたいと、大勢の会員が集まってきた。
彼は共に勤行し、午前十時、学会本部のバスで竹田に向かった。
移動にバスを使うことになったのは、車中、打ち合わせや執務を行えるからである。
広宣流布は、時間との戦いである。