小説「新・人間革命」勝ち鬨 四十一 2018年1月25日

山本伸一は、翌11日も朝から大分平和会館を訪ねてくる同志に声をかけ、一緒に記念のカメラに納まり、激励に余念がなかった。
また、9日に再会した大分170人会や、前日に結成された大分男子・女子21世紀会の前途を祝し、次々と記念の揮毫を認めていった。
「ほかに、まだ書き贈るべき人はいないのかい。宗門の事件で苦しみながら、頑張り抜いてきた方は、まだまだいるだろう」
そして、県の幹部らから、奮闘した同志の名前を聞くと、直ちに硯に向かい、その人の名を冠した「○○桜」「○○山」など、一枚、また一枚と色紙に筆を走らせた。
午後には、大分市内の個人会館を訪れ、県の代表と懇談した。この席で、制作中の大分県歌について相談を受け、歌詞に手を入れ、曲についてもアドバイスした。
夜には、大分平和会館で自由勤行会が行われた。ここでも、伸一は、自ら勤行の導師を務めるとともに、全力で参加者の激励、指導にあたった。
彼は、大分ゆかりの人のなかに、多くの歴史的人物がいることに触れた。
大友宗麟は、キリスト教に帰依し、西洋文明の文物を残した。
江戸後期の儒学者・広瀬淡窓は、学塾『咸宜園(かんぎえん)』を開き、たくさんの弟子を残した。
滝廉太郎は名曲を残し、福沢諭吉は大学を残した。
では今、私たちは、信仰者として何を残すべきか。
それは、日蓮大聖人が顕された生命の大法である南無妙法蓮華経を全世界に流布し、永遠に伝え残していくことです。
各人が、万人の絶対的幸福への道を開く妙法を、わが人生において、幾人の人に教えることができたか――そこに、私どもの、この世で果たすべき使命があります。
この一点のみが、御本仏・日蓮大聖人の御賞讃をいただき、自身の永遠にわたる思い出と、仏法者としての最高の功績と栄誉をつくる方途であります。
この確信に立つなかに、信仰者の真髄があることを知ってください」