小説「新・人間革命」 勝ち鬨 五十六 2018年2月14日

自由勤行会は、希望みなぎる新しき旅立ちの集いとなった。地元・熊本の県長をはじめ、県幹部らのあいさつに続いて、地域広布への誓いを込めた、「天草宣言」「城南宣言」が、それぞれ採択された。
「天草宣言」では、こう述べられていた。
「天草の地は、歴史的に不幸な、あまりにも不幸な地であった。
しかし、今我らは、日蓮大聖人の大仏法を根本として、楽土天草の建設に努力しあうことを誓う」
「我ら"妙法の天草四郎"は、生涯青春の信心をもって、生き生きと、広宣流布の模範の地としゆくことを、ここに誓う」
このあと、各県長らが登壇した。鹿児島県長は、明年中には鹿児島文化会館が完成の予定であることを報告し、佐賀県長は、明春、二万人の県友好総会を開催することを発表。
長崎県長は、明春、諫早文化会館が完成の運びであることを紹介した。
参加者の喜びのなか、マイクに向かった山本伸一は、熊本訪問に先立ち、十三年半ぶりに大分を訪れたことを述べ、西南戦争での大分・中津隊の戦いについて語っていった。
「一八七七年(明治十年)、西郷隆盛の軍と政府軍は、田原坂で激戦を展開し、西郷軍は敗退してしまう。一方、大分の中津では、増田宋太郎と共に数十人が義勇軍として挙兵した。
これが中津隊です。
彼らは、阿蘇で西郷軍と合流し、見事な戦果をあげるが、最後は政府軍に敗れ、命を散らしてしまう。勇壮な戦いであったが、あまりにも悲惨です。
広宣流布の前進にあっては、一人たりとも犠牲者を出してはならないというのが、私の決意であり、信条です。
また、戦争で最も苦しむのは民衆であり、民衆は、常に苦渋を強いられてきた。それを幸せと希望の歩みへと転換していくのが、日蓮大聖人の御精神であり、創価学会の運動の原点でもあります」
──「君の無骨な手がふるえ 素朴な顔に輝きわたる生の歓喜を この地上に獲得するまで戦う」とは、彼の詩「民衆」の一節である。