【第1回】 誓願    (2018.2.20)

【第1回】 誓願 ―― 広宣流布への決定した一念​​ (2018.2.20)
 
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“病気を治したい”という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる。
池田先生は、若き日から日蓮大聖人の仏法を基調とした人間主義の哲学を通して、世界中の同志を励まし、人生の羅針盤らしんばん)となる指針や指導を数多く送られてきました。
それらの指導や励ましは、現実生活に即した「実践の教学」を基盤としたものであり、世界宗教として飛翔(ひしょう)する創価学会の思想や哲学を端的に表すものです。
新連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に紹介。
併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。
第1回のテーマは「誓願(せいがん)」です。
 
小説「新・人間革命」第24巻「厳護」の章
 
【あらすじ】
1977年(昭和52年)を、創価学会は「教学の年」と定めて前進を開始しました。
これは、山本伸一会長の提案によるものであり、「広宣流布の新章節を迎えた学会が、さらに大飛躍を期すためには、これまで以上に、全同志が、御書を心肝に染めなければならない」と考えたからです。
さらに、「聖教新聞」の同年元日付から4回にわたって、山本会長による「諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)」講義が掲載。
山本伸一は御書を拝して、「地涌の菩薩の本領」という点について語ります。
 
伸一の心には、常に“大聖人直結の信心を貫いてきたのは、われら創価学会である”との、富士のごとき不動の大確信があった。
伸一は、地涌の菩薩の本領(ほんりょう)とは何かについて、掘り下げていった。
「菩薩の本領は、『誓願(せいがん)』ということにあります。
そして、地涌の菩薩の誓願とは、『法華弘通(ほっくぐつう)』にあります。
ゆえに、心から周囲の人びとを幸せにしきっていく、広宣流布への『誓願』の唱題が大切です。
厳しく言えば、『誓願』なき唱題は、地涌の菩薩の唱題ではないのであります」
誓願」には、魔に打ち勝ちゆく、仏の生命のほとばしりがある。
伸一は、全同志が、一人も漏れなく、大功徳に浴してほしかった。
病苦、経済苦など、すべてを乗り越えて、幸せになってほしかった。
そのための祈りの要諦こそ、「広宣流布への誓願」なのである。
皆、それぞれに、さまざまな問題や苦悩をかかえていよう。
その解決のためには、“広宣流布のため”との一念が大事になるのだ。
たとえば、病(なやみ)に苦しんでいるならば、“この病を克服(こくふく)し、仏法の正しさを必ず証明します。
広宣流布に、自在に動き回るために、どうか大生命力をください”との誓願の心が、克服の大きな力となるのだ。
題目を唱えれば、もちろん功徳はある。
しかし、“病気を治したい”という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる。
広宣流布誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。
また、弘教(ぐきょう)など、広宣流布のための挑戦課題を成就(じょうじゅ)せんと悩み、唱題すること自体、既に地涌の菩薩の生命である。
ゆえに、その実践のなかで、個々人のさまざまな苦悩も、乗り越え、解決していくことができるのだ。
 
理解を深めるために
 
●「法華経」に説かれる仏の願い
ここでは「地涌の菩薩の本領」と言われている「誓願」について解説します。
誓願」とは、仏や菩薩が民衆を幸福にしたいと誓い、その成就を願うことです。
仏教の創始者である釈尊(しゃくそん)の願いは、法華経方便品に「如我等無異(にょがとうむい)」(我が如く等しくして異なること無からしめん=法華経130ページ)と説かれています。
“全ての人々を、自分(釈尊)と同じ仏にして異なることがないようにしたい”というのが、仏の誓願です。
法華経如来神力品(にょらいじんりきぼん)では、地涌の菩薩の上首(じょうしゅ)である上行菩薩が、滅後の弘通(ぐきょう)を勧める釈尊(しゃくそん)に応えて、成仏の肝要(かんよう)の法を人々に教え弘めていくことを誓願し、釈尊から滅後悪世(めつごあくせ)の弘通を託(たく)されるのです(付嘱)。
末法である鎌倉時代に誕生された日蓮大聖人は、全ての人々を仏にする方途として、南無妙法蓮華経の大法を顕(あらわ)され、弘(ひろ)められました。
大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せです。
また、他の御書には「大願(だいがん)とは法華弘通(ほっけぐつう)なり」(736ページ)ともあります。
苦悩にあえぐ人々を救い、広宣流布を進めることが大聖人御自身の最大の願いであったのです。
 
日蓮大聖人の御書から 「諸法実相抄」について
 
●広布に戦う人は「地涌の菩薩」
「諸法実相抄」には、「いかにも今度(こんど)・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意(どうい)ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠(しゃくそんくおん)の弟子たる事あに疑(うたがい)はんや、経に云く『我久遠(われくおん)より来(この)かた是等(これら)の衆(しゅう)を教化(きょうけ)す』とは是(これ)なり」(御書1360ページ)とあります。
日蓮大聖人はこの御文で、御自身と同じ心で広布に戦う弟子は「地涌の菩薩」であると教えられています。
地涌の菩薩は、法華経地涌出品(ほけきょうじゅうじゆじゅっぽん)に登場する菩薩であり、釈尊が、滅後の弘通(ぐつう)を託(たく)すために大地の下から呼び出した無数の菩薩です。
この時、他の菩薩は、地涌の菩薩の数の多さやその尊貴(そんき)な姿に接し、釈尊に、“いつ、どこで、これらの菩薩を教化してきたのでしょうか?”と尋(たず)ねます。
この答えの中で釈尊が語ったのが、「我久遠より来かた是等の衆を教化す」との言葉です。
釈尊が久遠の昔から、地涌の菩薩を教化してきたとの意味です。
この経文を通して大聖人は、仏法の師弟の絆が久遠の昔から結ばれていることを明かされています。
そして弟子たちに、「日蓮と同意」の心で、広宣流布に生き抜くよう、呼び掛けられているのです。 ​​​​