【第32回】 度重なる苦難こそ「まことの時」2018年8月21日

鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる(開目抄、233ページ)
 
(通解)
法華経弘通ゆえの難に遭うことで、過去世からの罪業が現れ、消し切ることができる。
たとえば)鉄を焼く時、強く鍛えないと、その中の傷は隠れたままで見えない。
度々、強く責め鍛えると傷が現れてくるようなものである。
 
同志への指針
日蓮大聖人は「大事の難・四度なり」とも仰せである。
命に及ぶ大難を、幾度も勝ち越えるお姿を示されたのだ。
我らは、その直系である。
病気の再発など度重なる苦難にも、断じてたじろぐことはない。
全ては金剛不壊の生命を鍛え上げる仏の計らいだからである。
「まことの時」に嘆かず惑わず戦い、永遠に崩れぬ常楽我浄の大境涯を開くのだ!