【第35回】青年こそ未来なり (2018年11月5日)

 時は来た。前進だ! 団結だ!
 若き世界市民の連帯で地球を結べ
 尊き使命の君に 貴女に 栄光あれ!​
 
南アフリカの人権の巌窟王マンデラ氏を、青年たちと共に歓迎。
創価大学パン・アフリカン友好会の友の歌声に笑顔が輝く(1990年10月31日、信濃町聖教新聞社で)
 
「男子部の日」「女子部の日」を刻む栄光の月を、晴れ晴れと勝ち飾りゆく創価の青年部の皆さん、おめでとう!
今も鮮やかに思い出す秋の日の光景がある。
1990年(平成2年)――“獄窓1万日に及ぶ獄中闘争を勝ち越えた人権の巌窟王南アフリカマンデラ氏を、わが宝の青年たちと共に、信濃町で熱烈に歓迎した。
爽やかな陽光のもと、車から降り立ったマンデラ氏を握手で迎えると、男女500人の青年たちの「ビバ! マンデラ!」の歓声が包んだ。
さらに創価大学パン・アフリカン友好会の友が「ロリシャシャ・マンデラよ……」と、氏の名前を呼びかける民衆の愛唱歌を歌い上げると、満面の笑みで応えられた。
 
「私は元気に!」
五年後、新生・南アの大統領として来日されたマンデラ氏と再会した時、開口一番で話題にされたのは、最初の出会いの思い出であった。
「あの青空。あの素晴らしい歓迎。
たくさんの青年が迎えてくれました。私は元気になりました。
創価大学の学生さんが歌ってくれた光景も、忘れられません」と。
 マンデラ氏は、創価の青年との出会いを、ことのほか大事にしてくださっていたのである。
青年の力は計り知れない。恐れなきバイタリティー、挑戦と進取の勇気、未来を見つめる凜々しき瞳……それだけで、青年は、いかなる大富豪よりも「富める者」である。
マンデラ氏との会見の最大のテーマは、何であったか。それは「教育」であり、「後継」ということであった。
「一本の高い樹だけではジャングルはできない。他の多くの木々が同じような高さまで伸びて、大きな森の茂みができあがる」。
こう私が申し上げると、マンデラ氏は深く頷かれていた。
最晩年、マンデラ氏は東日本大震災に心を痛め、復興を祈ってくださった。
その中で私にも一詩を贈っていただいた。
そこには、「お互い歳を重ねましたが、それでも、私たちは共に世界と一体です」との心情が綴られていた。
私が返詩に「世界を蘇らせゆく若き森が育ち、広がりゆく姿ほど大いなる喜びはありません」と込めてお伝えすると、大変に喜んでくださった。
今年は、マンデラ氏の生誕100周年でもあった。アフリカをはじめ全地球規模で、希望の大森林の如く広がる創価の若き世界市民の希望の連帯を、あの笑顔で見守ってくださっていると確信する。
 
誓願」の師子吼
65年前(1953年)の11月、学会本部は、東京・西神田から、信濃町に移った。
 移転後まもなく迎えた牧口先生の10回忌法要において、戸田先生は烈々と師子吼された。
――私は弟子として、牧口先生の大哲学を世界に認めさせる!価値論を世界的哲学として認めさせるまで戦う。もしも私の代でできなければ、戸田門下の君らがやってもらいたい、と。
創価の哲学を世界へ! これが信濃町の本部での最初の宣言であった。
師の「誓願」の通り、創価の哲学は日本の海岸線を悠々と越え出でた。
日蓮大聖人の「太陽の仏法」は、今や、世界192カ国・地域へと広がり、人類に希望の光、幸福の光、平和の光を送り続けている。
この世界広布新時代の地平を開いてくださったのは、他の誰でもない。
草創の時代から今日に至るまで、御本仏の御遺命のままに広宣流布に走り抜いてきた、各国、各地の学会員である。
庶民の父たち母たちである。
今の栄光の時代に生きる青年たちは、どうか、この大恩を忘れないでもらいたい。
そして後継の炎のバトンを握り、さらに新しい時代を創っていってほしいのだ。
青年らしく、学会っ子らしく!
 
黎明の鐘を打て
 
共々に「広布の黎明の聖鐘を打とう」――これは、中国方面の“山口開拓指導”に駆ける中、共戦の友に贈った言葉である。
この決心で私が一切の指揮を執り、1956年10月から翌年1月まで、1波、2波、そして第3波と広布拡大に走った。
 この“山口闘争”には、志願兵の誇りと決意をもって、全国の同志が馳せ参じてくださった。
東京から、北海道や東北など北国から、神奈川や埼玉、愛知から! また福岡や四国から、大阪、兵庫をはじめ全関西から! 
恩師の願業たる75万世帯の達成へ、私と共に戦った一人ひとりが、第一級の広宣流布の闘士と輝きを放っていったのだ。
 
“山口闘争”の第2波の渦中、私は萩(はぎ)の松下村塾を訪れた。
牧口先生と戸田先生も敬愛されていた明治維新の先覚者・吉田松陰が、新時代の人材を育てた揺籃(ようらん)である。
松陰いわく、「志ある人物は必ず志を同じゅうする友があり、師を同じゅうする朋がある」と。
若くして人生の師を持ち、広宣流布という最も偉大な志を分かち合える朋友を持つ――これが、どれほど幸せなことか。
 戸田先生が松陰を語られる際には、その弟子、ことに高杉晋作(たかすぎしんさく)と久坂玄瑞(くさか げんずい)という若き双璧に、鋭い眼を注がれるのが常であった。
先生は、大きな社会変革の中核には、必ず魂の結合から生まれる青年の熱と力があることを確信しておられた。
この方程式は、歴史の“黄金則”であり、その通りに今、世界広布新時代の夜明けを告げる鐘が鳴り響いているのだ。
 
一切衆生が宝塔
 
この8月には、シンガポールで「青年の祭典」が開催され、一万数千人の若人が歓喜躍動した。
インドやタイ、マレーシアなど南アジア各国のリーダーも会し、「『平和の地球』を我らの勇気で!」と誓い合った。
韓国と日本の青年部の交流も意義深かった。
さらに9月には、アメリカ九都市で、大勝利の青年大会「正義の師子・5万」が、意気軒昂に行われた。
その時に出演したアメリカの青年たちを中心に今、新たな友また友を糾合しようと、学会創立の月を記念する座談会の結集・充実に力を注いでいるという。
アルゼンチン、ブラジルはじめ中南米でも、欧州でも、オセアニアでも、アフリカでも、「人間の尊厳と希望輝く新時代」へ、若人の前進は一段と勢いを増している。
 
「御義口伝」に、「宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」(御書797ページ)との甚深の仰せがある。
法華経」に説かれる、大地より涌出した巨大で荘厳な宝塔は、実は一切衆生、すなわち民衆一人ひとりの生命そのものなのだ。
人種も、民族も、出自も、職業も関係なく、ありのままの人間の姿が尊厳なる宝塔に他ならない。妙法の全体なのだ。
ゆえに誰一人、卑下(ひげ)する必要はない。
誰一人、孤独な絶望の闇に置き去りにされてはならない。
「どうせ自分なんか」と自信を失った友に、「あなたこそ、最も尊い使命を持った、最も尊貴な人なのだ」と励まし、ロマンと希望に満ちた凱歌の人生を共々に歩むための仏法なのだ。
青年こそ未来である。人類の至宝である。若き異体同心のスクラムで、一人また一人と友情を広げ、誰もが桜梅桃李と輝く「生命尊厳の宝塔」を林立させていくのだ! 
それは、皆が法華経の行者の自覚で、「仏語(=仏の言葉)を実語とせん」(同230ページ)とする壮大な挑戦といってよい。
北海道から九州、沖縄に至る列島各地で開催中の青年大会や音楽祭でも、新たな地涌の若人が歓喜踊躍している。
温かく支え応援してくださる壮年・婦人や、準備に当たる運営役員の方々にも心から感謝したい。
出演者はもとより、地域の青年部・未来部の友が一人ももれなく信心の原点を築き、黄金の友情の行進を加速できるよう、皆で題目を送ろう!
 
若き力の開花を
 
核兵器による「人類存続の危機」に警鐘を鳴らした、英国の哲学者ラッセルはかつて叫んだ。
 若い人達を全世界的協力の可能性に気づかせること、そして人類全体の利益について考える習慣を生み出すことが、教育の目的の一つであるべきである」と。
今なお不朽の言葉であろう。
先頃、国連が取り組む「人権教育のための世界計画」第4段階のテーマが「青年」と決まった。
この世界計画は「人権教育のための国連10年」(2004年終了)を引き継ぎ、人権文化の発展と人権教育に関する共通の理解を促進するべく設けられたものである。
2005年から5年ごとにテーマを定め、進められてきた。「青年」と掲げる第4段階のスタートは、2020年からだ。
このテーマの策定に際しては、わがSGIも、作業部会への参加や共同声明などを通して議論に加わってきた。
私自身、毎年の平和提言などを通し、青年に焦点を当てた人権教育を一貫して提唱してきた。それだけに、今回の決定を何よりも嬉しく思う。
ともあれ、「青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)」は、まさに全地球的なテーマとなっているといってよい。
だからこそ、わが学会は、いよいよ青年と共に、世界の同志と一緒に、麗しき「水魚の思」の団結で前進するのだ!
28年前の対話の最後、私はマンデラ氏と歩みつつ未来を展望した。
――試練を乗り切り、戦い勝ってこそ、偉大である。真実の正義は、100年後、200年後には必ず証明される、と。
この最極の人間革命の大道を、わが不二の青年たちよ、いざ朗らかに胸を張り、未来へ、勝利へと、闊歩してくれ給え!
     
                                    (随時、掲載いたします)
吉田松陰の言葉は『講孟劄記(上)』近藤啓吾訳(講談社)。ラッセルは『人類に未来はあるか』日高一輝訳(理想社)。