池田先生と千葉 (2019.1.14)
旭日の勢いで新たな前進
池田先生ご夫妻は昨年6月6日、千葉の浦安平和会館を車で視察。
先生は「千葉の皆さんにくれぐれもよろしく」との伝言とともに、同会館をカメラに収めた 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。
大仏法の原点
この菜の花のように、苦難の冬にあっても快活に進む千葉の友へ、池田先生は思いをつづった。
私と千葉の皆さまの思い出は、限りない。
わが青年部とともに、銚子(ちょうし)や富津(ふっつ)で語り合ったこと。
そして、市川(いちかわ)、松戸(まつど)、柏(かしわ)、野田(のだ)、佐倉(さくら)、勝浦(かつうら)、天津小湊(あまつこみなと)、大原等(おおはらとう)の同志と語り合ったことも、懐かしい。
さらに、成田は、世界への飛翔(ひしょう)の窓口である。
今、館山には、“菜の花”に包まれた、王者の千葉研修道場も完成した(1998年2月=編集部注)。
千葉の舞台は、いつも何かが躍り出るが如く、賑(にぎ)やかである。永遠に、新鮮な旭日の昇る勢いが感じられる。
千葉の同志は、大聖人の直結の門下の誉れと魂を受持して、この誇り高き一生を飾り、三世にわたる栄光を胸に抱きながら、前進されんことを祈りたい。
千葉県は、日蓮大聖人が御聖誕された誉れの天地。
この地に生きる友の深い使命を、先生は千葉広布60周年を記念して発刊された『師弟の光彩 旭日の千葉』の巻頭言にとどめている。
千葉は、私の手作りの「広宣流布の新天地」だ。
頼もしい、そして信頼してやまぬ希望の人材群が、勇敢に、誠実に、常に新しき妙法の拡大の波を起こしてくれている。
御本仏・日蓮大聖人は、仰せになられた。
御聖誕の故郷を、蓮祖は、どこよりも何よりも、大切に大切に思われていた。何と不思議な、何と福運ある宝土であろうか。
本州の平地で、一番早く旭日が昇りゆくのは、房総(ぼうそう)半島である。
万年の果て、そして尽未来際(じんみらいさい)の彼方までも赫々(かくかく)と照らしゆく、「太陽の大仏法」の原点こそ、我らの誉れの千葉である。
「今」を勝つ
「旭日の千葉」と池田先生は呼び掛ける。そこには、大聖人有縁の天地であるという意義とともに、どんな大変な所にも駆け付け、希望の太陽を昇らせる友への深い期待が込められている。
戸田先生は言われた。
「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
その通りである。
信心の炎は、自分のことだけで汲々とした小さな境涯を打ち破る。友の勝利が、わが勝利であり、わが勝利が友の勝利である。
どこそこで、あの友が苦しんでいる。かの地域で仲間が奮闘している。そう聞けば、わが事のように祈る! 自他共の完勝のため、そこへ駆けつけ、共に戦う!
この熱烈な同志愛があればこそ、あらゆる大難を乗り越え、学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
私は知っている。
千葉の同志には、惜しみなく世界に光を送る、あの赫々たる太陽が燃えている。
最も戦いが大変な場所に、常に、勇んで駆けつけては、勝利の突破口を開いてこられたのが、千葉の皆様方であったからだ!
1974年(昭和49年)の2月。先生は千葉の勝浦、そして大聖人御聖誕の地・天津小湊(あまつこみなと)方面へ向かっていた。
その途次に大原駅で下車した折、駅構内の片隅に千葉の同志の姿が見えた。先生は列車を降りるや即座に友のもとへ。その時の思いを、こうつづった。
たった一瞬の出会いが、一生を決める場合がある。たった一言が、人生の転機にもなる。
まして、わが同志は、広宣流布のために戦ってくださる尊き戦友だ。御本仏が護(まも)り、必ず賞讃(しょうさん)される方々だ。どうして通り一遍の対応で済ませることができようか!
大聖人は、「立宗」以来、「二十余年が間・一時片時も心安き事なし」(御書1514ページ)と仰せである。
心休まる暇もない、命に及ぶ大難の連続のなか、邪悪を破り、人びとを励まし、大法を説き続けられた。
その峻厳な連続闘争に続きゆく道は、「今」を勝つために心血を注ぐ以外にない。
ゆえに私は、生命のアンテナを研ぎ澄まし、「今しかない」「今しかない」と、一人また一人と、出会いを重ねてきた。
さらに、一瞬一瞬、正義の長剣(ながたち)を振るって、広布途上の卑劣(ひれつ)な妨害をはね返し、険難の峰を登ってきたのだ。
わが同志よ、わが弟子よ、断固として、今を勝て!
行動が第一
「行動」した分だけ、「境涯」は広がる。またみずから歩き、労苦の汗をしたたらせた地域は、自身にとって永遠の歴史の国土となる。
その栄光の歴史は、三世にわたって生命から消えない。
のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である──と述べられている。
広宣流布のために、頭を使い、のどを使い、胸で心をくだき、体を動かし、足を使っていく──。
そこに全身が、妙法の宝塔と輝きわたっていくのである。
93年(同5年)1月の千葉県総会では、「四条金吾釈迦仏供養事」等の御書を拝し、佐渡流罪をはじめとする難を勝ち越えた大聖人の闘争に言及。広宣流布に立ち上がった以上、難があるのは当然であり、難を乗り越えてこそ仏になれると強調し、勝利を導く一念について語った。
仏道修行に苦労がないはずがない。大聖人は、御自身があれほどの大難をすべて連続勝利してこられたのは、絶対にグチを言わない、人を恨まない「一念」が祈りとなったからだとおっしゃっているのである。
“全部、自分が決めたことだ”“何のグチも文句もない”“ただ、まっすぐに戦うのみである”“勇んで、前へ進むだけである”──腹を決めた、晴ればれとした信心の一念によってこそ、連続勝利はある。
諸天も動く。自身も大福運を開く。晴れわたる大空のごとき大境涯となる。
「立正安国」という民衆救済の大闘争を千葉の地から起こされた日蓮大聖人。