池田先生と新潟 (2019.1.26)
頭を上げて前へ前へ!
一人の変革
池田先生が新潟に第一歩をしるしたのは、65年前の1954年(昭和29年)2月である。先生は、初訪問の歴史を述懐し、つづった。
実は、その直前、戸田先生は体調を崩されていた。不死鳥のごとき生命力で、すぐに広布の陣頭に復帰されたが、私は一人、深刻な決意に奮い立っていた。
“戦うのだ! 力をつけるのだ! 一日も早く、先生にご安心いただける後継の弟子となるのだ!”
我々の活動と成長が、戦いと前進が、共戦の連帯の拡大を無限に生んでいくのだ。これが、広宣流布の一つの方程式だ。
新潟は深い雪だった。そのなかを、友と一緒に私たちは走った。
100人ほどの同志が集い合った指導会に、私は出席させていただいた。
それが終わると、生き生きとした使命燃え立つ青年たちと、遅くまで語りに語った。そして懸命に激励した。
寒い翌日も折伏、さらに指導に走り回った。そして夜行列車に飛び乗る寸前まで、友を励まし続けた。
当時、私は、万感の思いを日記に書き留めた。
「此の地よりも、未来の大指導者の輩出する事を祈りつつ」と、その一節にある。
涌出せよ! 涌出せよ!若き正義の師子よ、偉大な広布の大人材よ! 指導者は、第一にも、第二にも、人材を見出すことだ。
人材を育てることだ。それが、責任であり、使命であり、任務であり、勝利なのだ。
ともかく、生命は「一人」が大事だ。「一人」の「人間革命」が大事だ。
これが、すべての出発と発展の原動力だ。一人の人間革命が、人びとを覚醒させ、地域を変革させ、そして、社会も国家も新しく変えてゆくのだ。
偉大なことは、そして大切なことは、一人の人間革命の原理を、法理を、大事な弟子たちに、強く深く教えていくことである。これが、戸田先生の決意であられた。
率先垂範
先生は当時を回想しながら、リーダーの使命を確認した。
私は、皆を労いながら、重責を担うリーダーたちであるゆえに、あえて言った。
「指導者は、どんなことがあっても、疲れた姿を見せてはならないんだよ」
ここ一番という時に、大将がくたびれていては、士気が上がるわけがない。
戸田先生の厳しい訓練を受けきってきた私は、どんなに体調が悪くとも、皆の前で、疲れたそぶりは、微塵も見せないと決めてきた。
同志を守るための、そして勝利の指揮をとるための幹部であるからだ。疲労を残さぬように知恵を働かせることも、大切な責任感である。
ゆえに幹部は、まず自らが厳然と祈り、満々と生命力を漲らせることだ! 晴ればれと率先垂範で戦い、皆の疲れを吹き飛ばし、喜悦の波動を広げていくことが、幹部の使命であることを断じて忘れてはならないだろう。
池田先生は「開目抄」の一節を拝し、「創価の魂」を新潟家族に託した。
大聖人は、新潟で、末法の御本仏の大境涯を刻印された「開目抄」に仰せである。
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)
誰が、大聖人の滅後、御書の通り、あえて大難の嵐を呼び起こしたか!
誰が、世界広宣流布の大闘争を起こしたか!
それが創価の誇りである。
それが創価の魂である。
大聖人に直結し、牧口先生に続く、わが新潟家族よ! いかなる三障四魔の怒濤も、堂々たる「勇気」の行進で、悠然と勝ち越え給え!
勇猛精進
「勇気」は新潟の永遠の指針である。
翌15日の勤行会で先生は語った。
経文にも「勇猛精進」とあるように、信仰者の第一条件は“勇気”である。
その勇気とは、使命も、努力も、建設も、開拓もふくまれるうえでの勇気であることはいうまでもない。
「何があろうと、自分は、これでいく」という信念、モットーがなければ、風向きのままに、右に揺れ、左に揺れ、翻弄されて、結局、人生、何も残らない。
後悔とむなしさだけの、みじめな自分となってしまう。それでは、何のための一生か。
そうならないためには、一歩も引いてはならない。毅然と頭を上げて、「信念」のままに、前へ、また前へ、進むことである。そして「信心」とは最高の信念なのである。
皆さまは、「勇気の新潟」を合言葉に、「勇気」の二字を決して忘れないでいただきたい。
勇気ある人のみが戦いに勝てる。そして、戦う人は幸福である。戦えない「いくじなし」では、結局、不幸になってしまう。人生、すべて戦いである。
どうかともどもに、ますますの「若さ」と「勇気」で、素晴らしき幸の人生を満喫していっていただきたい。
池田先生は2004年5月の随筆で、懐かしき新潟の同志の顔を思い浮かべながら、つづった。
共戦の三条・燕(つばめ)・加茂(かも)旭日の村上。
躍進の新津(にいつ)・白根(しろね)和楽の小千谷(おぢや)
新潟県の同志は、勇気、勇気、勇気で勝ち進む。
本年は池田先生の新潟初訪問から65周年の佳節である。
65年前、池田先生は新潟の青年たちに一首を詠んだ。
「大聖の 嵐の因縁(えにし)ある地にて 法旗を高く 君等(きみら)起ちゆけ」と。
以来、いかなる苦難にも屈せず、“嵐は誉れ”と全てを勝ち越えてきた新潟の友。今ここから、「勇気の旗」を高らかに掲げ、使命の戦野を力走する。