池田先生と静岡 (2019.1.31)

勝負を決するのは「声の力」
 
20071112日、池田先生は関西指導を終え、東京に向かう新幹線の車窓から、夕映えの富士にカメラを向けた(静岡市内で撮影)。
かつて池田先生は「富士山のある静岡は“世界の静岡”」「皆で、この地に広布の理想的な国土を築いていただきたい」と呼び掛けた
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は静岡県を掲載する。
 
太陽の如く
2016年(平成28年)11月、静岡の新愛称が発表された。
それは「太陽の静岡」。学会が邪宗門と決別した“魂の独立”から25周年の折であった。池田先生は、翌17年に発刊された指導集『太陽の静岡』に万感の思いを寄せた。
  
太陽は、希望の光源である。
太陽は、慈愛の熱源である。
太陽は、正義のエネルギー源である。
 
我らの静岡こそ、太陽の民衆仏法が、最も明るく、最も温かく、最も強く、世界へ未来へ、輝き渡る天地なのだ。
御本仏・日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「各各(おのおの)師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干(やかん)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼(ほゆ)るなり」(御書1190ページ)
この通りに、「師子王の心を取り出して」、命に及ぶ迫害にも断じて屈(くっ)しなかったのは、殉教(じゅんきょう)の熱原の三烈士を中心とする静岡の農民門下であった。ここに、世界の人権闘争史をも照らしゆく、民衆仏法の凱歌の旭日が昇ったのである。
その「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」「死身弘法(ししんぐほう)」の大光を、時を超えて受け継ぎ、赫々と放ちゆくのが、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を創立の師父と仰ぐ、我ら創価学会である。
世界広布新時代の今この時、民衆仏法の原点の天地たる静岡の太陽の前進を、全世界の同志が見つめている。
大聖人は、「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と宣言なされた。
我ら太陽の静岡家族は、いやまして異体同心の団結を深め広げながら、愛する郷土に、広宣流布の「永遠の都」を断じて築きゆこうではないか!
いずこにもまして苦楽を分かち合ってきた静岡の同志と、私の心はどこまでも、いつまでも一緒である。
 
全権大使に
池田先生は若き日から富士をこよなく愛してきた。先生は1988年(昭和63年)9月、静岡の友に贈った長編詩「富士光る幸の宝土」で広宣流布に生きる使命をつづった。
  
 富士郡・賀島(編集部注=現在の静岡県富士市)の
 高橋入道に与えられた御書に
 「其の国の仏法は貴辺に
 まかせたてまつり候ぞ」と
 その地域の広宣流布
 そこに住みし人の使命である
 自身に連なる人の絆は
 誰も 取って代われはしない
 君こそ あなたこそが 
 わが居住の世界の広布を
 御本仏より託された
 たった一人の開拓者なのだ
 責任者なのだ
 全権大使なのだ
  
 広宣流布のために
 自分は何をすべきか――
 常に
 その問いかけを忘れまい
 そして 人を恃むな
 そこに後退の因はある
 どんなに大勢でも
 それに安住してはならない
 それぞれが
 それぞれの
 使命を果たさずしては
 大願の成就は
 決してないからだ
  
 ゆえに君よ
 創価学会のなかの自分ではない
 自分のなかに
 創価学会はあることを忘れまい
  
 さあ 友よ
 金の絆で
 心と心を結びし君たちよ
 歓喜の旗をなびかせながら
 富士と語りつつ
 三世に薫るこの道を
 肩組み ともどもに行こう!
 
不退の精神
池田先生は、折々の場面で静岡の青年部に励ましを送ってきた。
85年(同60年)722日、静岡・白糸研修道場(当時)に開設された「白糸記念青年塾」の開塾記念勤行会では、“信心を貫き通す人が最も尊い人”と後継の友に強調した。
さまざまな競技、スポーツにあっても、途中でやめ放棄することほどみじめなことはない。
なにごとにあっても、最後まで、不退の精神で貫(つらぬ)き通していくことだ。
勝っても負けても、頑張りぬくことが尊い。そこに人生の生き方の真髄があるといえよう。
ましてや、信心を貫き通した人、広布の陣列に馳(は)せ参(さん)じて、最後まで連なっていく人はもっとも尊いのである。
その人を御本尊はお見通しになり、諸天も讃嘆することはまちがいない。
ゆえに、みずからが決めた道を、最極の法に則ったわが人生の道を、歩み通していく――この一点を、たがいに誓いあっていただきたい。
未来への永続的な発展は、青年がどのように成長し、力をつけ、斬新にして新鮮な生命力でたくましく伸びていけるかにある。そこに今後の発展のいっさいのカギがある。
さらに90年(平成2年)121日、静岡県青年会議(富士宮国際文化会館〈当時〉)では、友情の大切さを訴えている。
小さな自分のカラに閉じこもった生命――そこには、躍動がない。
真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。
一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。
それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。
「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。
苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
 
正義の勢い
91年(同3年)1013日、浜松アリーナで開催された第1回静岡合唱友好祭。静岡文化会館や清水文化会館、富士文化会館をはじめ23会場が中継で結ばれた。
前年の12月に第2次宗門事件が勃発(ぼっぱつ)し、宗門との攻防(こうぼう)の真っただ中だった。
祭典では、“創価勝利”を告げる「歓喜の歌」や「人間革命の歌」などの大合唱が轟いた。
池田先生はその熱唱をたたえつつ、独裁者・ヒトラーと戦った人民の英雄たちの温かき同志愛を紹介。「不屈の歌声」が「民衆の勝利」を約束することを語った。
「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
私も十数年前、どす黒い策謀(さくぼう)の嵐の中で、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。
こうして勝利へのリズムを、渾身(こんしん)の力で、ひとり厳然とつくってきた。(編集部注=池田先生が78年〈昭和53年〉に手掛けた学会歌は30曲に及んだ)
「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。
そのスクラム自体が、すでに“われらは勝ちたり!”との象徴である。
また無限に広がりゆく希望の証である。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
わが友に「不屈の歌声」があるかぎり、「不滅の同志愛」があるかぎり、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略にも、絶対に負けることはない。
悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。
さらに先生は2004年(平成16年)5月の随筆で、正義に生きる静岡に限りない期待を寄せた。  
静岡が勝つことが、日本中に、勝利の息吹を、そして正義の勢いを、太陽の如く昇らせていくのだ!
日蓮が一類(いちるい)は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚(おぼ)へ候、悪は多けれども一善(いちぜん)にかつ事なし」(御書1463ページ)
静岡の健気な在家の門下に贈られた、有名な御聖訓である。
わが尊き静岡の偉大な同志よ、東海の王者として、天下にその名を轟かせ、創価完勝の決定打を打ってくれ給え!
「声の力」で「仏法は勝負」の厳然たる実証を満天下に示してきた静岡の友。今、世界が見つめる静岡から、“創価勝利の太陽”は昇る。