第16回 池田先生と大阪 (下) (2019.3.18)


信心しきったものが必ず勝つ
常勝不敗の原点が刻まれた中之島大阪市中央公会堂(2007年11月、池田先生撮影)。
1957年7月17日、先生はこの公会堂で行われた大阪大会で烈々と叫んだ。
「正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」と。
その師子吼は関西の友の胸に厳然と刻まれている
              
永遠の勝利者
2000年(平成12年)12月、アジア歴訪を終えた池田先生は、大阪へ。
21世紀の新たな扉を開くため、20世紀最後に訪れたのは大阪であった。
同年12月14日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。
先生は関西への万感の期待を述べた。
関西は「広宣流布の心臓部」である。関西が日本全国を、また全世界を動かしていくのである。
それが関西の使命だからである。
二十一世紀の百年間、創価学会は、さらに「異体同心の団結」で、勝利のスクラムを組みながら、すばらしき前進の歴史をつくってまいりたい。
皆、百年間は生きていられないかもしれないが、戦いぬいた魂は永遠である。
また、後継の青年がいる。お子さんや、お孫さんがいる。
日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、誉れ高き大福運を積んでいっていただきたい。
この本部幹部会は、「関西女性総会」の意義も込められていた(翌2001年、12月14日は「関西女性の日」に制定される)。
幹部会の席上、先生は、広布における「女性の使命」について語った。
聡明な女性の周囲には「平和」と「和楽」の勢力が、だんだんと、できあがっていく。
大聖人は、「女子は門をひらく」(御書1566ページ)と仰せである。
広宣流布の永遠の前進にあって、「福徳の門」を開き、「希望の門」を開き、「常勝の門」を開くのは、女性である。
なかんずく女子部である。
学会は草創以来、生き生きと輝く女子部が、広宣流布の原動力であった。
どうか、わが関西女子部は、先輩たちのごとく、全国の模範となり、先頭に立って進んでいただきたい。
それはむずかしいことではない。皆が仲良く、連携しあい、スクラムを組んで進んでいけばよいのである。
家庭では良き娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となっていくことだ。
不敗の一念
2007年(同19年)11月、池田先生は7年ぶりに大阪へ。
9日間の滞在中、先生は連日にわたって渾身の励ましを送った。
関西最高協議会(同6日、関西池田記念会館)では、不屈の「関西魂」の意義を語った。
人生には、喜びの山もあれば、苦しみの坂もある。何が本当の幸福となるのか。 (中略)
所詮は、だれかに幸福にしてもらうのではない。
自分自身が強くなるしかないのだ。
そして、創価学会という麗しき“家族”のなかで、広宣流布に生き抜いていく。
これ以上の幸福はないことを知っていただきたい。
ともどもに、仲良き関西家族として、わが人生を勝ち抜いていきましょう! 
「浄土」と言い、「寂光土」と言っても、何の苦難も、何の障害もない世界のことを言うのでは決してない。
それは、いかなる艱難にも断じて負けない、いな、艱難があればあるほど燃え上がる、人間生命の常勝不敗の一念にこそあるのだ。
この不敗の一念こそ、わが「関西魂」であり、わが「関西スピリット」である。
どんな厳しい戦いにあっても、断固として乗り越え、勝ち越えてみせる、関西の大行進が、世界に、そして人類に、どれほど大きな「勇気」と「希望」を贈り続けゆくことか。
その使命と栄光を、誇り高く、朗らかに自覚しながら、厳然と勝利また勝利の歴史を重ねてまいりたい。
関西池田記念会館で開かれた本部幹部会・関西総会(同8日)では、1979年(昭和54年)4月24日の会長辞任当時に言及。
「最も強い怒りの声をあげてくれたのも、関西の同志であった」「関西の友の心は、あまりにも健気である。
広宣流布のためには、関西を完璧に仕上げることだ──私は、こう思い、若き日から関西に力を入れてきたのである。
これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった」と。
池田先生が手作りで築いた「常勝関西」の歴史。
“最後は信心しきったものが必ず勝つ!”との闘魂は、関西の同志の誓願となっている。
関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。
仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
この大確信で進んでいこう! 胸を張って!
 
声仏事を為す
さらに2日後の第2回関西最高協議会(同10日、関西文化会館)では、広布のリーダーに“勝負の鉄則”を訴えた。
大聖人は、四条金吾に仰せである。
「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)
厳粛な一節だ。人生においても、社会においても、よくよく拝していくべき勝負の鉄則である。
勢いよく前進すればするほど、大きくなればなるほど、少しでも油断して、隙が生まれれば、一瞬で崩れてしまう。
使命の天地で勝つためには、「ここを素晴らしい地域にするんだ!」と深く決意し、祈りに祈り、命を削って動くしかない。
口先を動かすだけではダメだ。自分の「生命を揺り動かす」のだ。後世の人から仰がれるような、立派な幸福城を築いてほしい。
限りある人生である。力を出しきらなければ、もったいない。
広布を阻む者とは、リーダーが先頭を切って、「声」で戦うのだ。声が“剣”であり、“弾丸”なのだ。敵を前にして、黙っていては卑怯だ。
声が仏事を為すのである。
唱題根本で戦う人の、心のこもった声は、相手の胸に入る。頭にも入る。
たとえ細かい部分は忘れたとしても、不思議と心に残るものだ。
2010年(平成22年)4月17日、八王子市の東京牧口記念会館で開催された第3代会長就任50周年・創立80周年を祝賀する本部幹部会。
池田先生が「全国、全世界の同志に感謝を込めて、かつて私が認めた『書』を紹介させていただきたい」と述べると、壇上に一幅の書が掲げられた。
──墨痕鮮やかな「五月三日」の文字。揮毫した日付として脇書に「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と刻まれている。
揮毫した場所は、関西牧口記念館(現在は大阪の豊中平和会館)である。
1980年(昭和55年)5月3日を関西の地で迎えた先生は、後に、この時の真情を随筆につづった。
私が名誉会長として初めて関西を訪問したのは、学会創立五十周年にあたる昭和五十五年の四月であった。(中略)
そして、五月三日の「創価学会の日」を、私は、第二の故郷である大関西で迎えた。
私の築いた、私と生死を共にしゆく、私の真実の弟子が集まる常勝の大関西で迎えたのだ!
豊かにして壮麗な五月晴れであった。最善の常勝の空であった。
落成まもない新・関西文化会館は、遠くまた近く、永遠なる輝きを放つとともに、広布の魂をひたむきに、精神の王者の如く形成されていた。
堂々と、青空にそびえ立っていた。
私は心に強く決めていた。
“私が頼りとし、心から信頼できる関西の同志と、永遠の祝賀の「五月三日」を痛快に祝うのだ”
「常勝」を永遠の使命とする友は「平成31年」を、今再びの“まさかが実現”で勝ち飾ろうと、怒濤の前進、また前進を続ける。
不屈の関西魂が、燃えに燃えている。