第17回 池田先生と愛知 (2019.3.21)

必死の一人は万軍に勝る
中部池田記念講堂で開催された本部幹部会。池田先生ご夫妻が広布の友をたたえる(98年11月12日)
 
攻めの姿勢
「この地から織田信長豊臣秀吉徳川家康の天下人3人も生まれている。人材を生む天地である」
池田先生は折に触れ、歴史回天の要となってきた愛知の重要性に言及してきた。
天下統一への転機となった「桶狭間の戦い」は、現在の名古屋市緑区で繰り広げられたともいわれる。
兵数に諸説あるものの、今川義元の軍勢は2万5000。
一方、織田信長は、わずか2000。実に10分の1以下の劣勢である。
なぜ、信長が勝利を収めることができたのか。池田先生は2007年5月のスピーチで、その勝因の一つに「攻めの姿勢」を挙げた。
まず信長は、籠城などの「守りの態勢」ではなかった。あくまでも自ら打って出て、断固、陣頭に立って戦う「攻めの姿勢」で臨んだ。
「攻め」の行動が、時をつかむ。「勝利のチャンス」を開く。
そもそも信長は、天下統一への30年にわたる戦いで、受け身の「籠城戦」は一度もしなかった。
むしろ、信長は、敵の領域まで打って出て戦うのが、常であったという。
御聖訓には、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と仰せである。
この、徹底した広宣流布の攻撃精神こそ、学会精神である。
吉川英治氏は小説『新書太閤記』で、迫り来る今川の大軍との戦いを前に、気概に燃える信長の心境を、こう描いている。
「按じるに信長には、今が逆境の谷底と見えた。おもしろや逆境。しかも相手は大きい。
この大濤こそ、運命が信長に与えてくれた生涯の天機やも知れぬ」(講談社
さらにまた、主君・信長とともに「桶狭間」を戦った若き秀吉についても、こう描いている。
「どんな濤でものりこえて見せようという覚悟が、強いて覚悟と意識しないでも肚にすわっている。
そこに洋々たる楽しさが前途に眺められた。波瀾があればあるほど、この世はおもしろく観じられるのであった」(同)
青春には、そして人生には、大なり小なり、試練の決戦の時がある。
それは、それぞれの「桶狭間の戦い」といってよい。
大聖人は、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
いざという時に、いかなる「一念」で戦いに臨むのか。
これが、決定的に重要なのである。すっきりした一念でなければ、戦いは勝てない。
戸田先生は、この一戦の勝因について、こう喝破されていた。
「どんなに多勢でも、団結がなければ戦には負ける。
信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ!』という明確な目標に向かって団結したから勝ったのだ」と。
団結こそ、勝利の根本の力である。
なかんずく、「破邪」の一念で一丸となった異体同心の団結ほど、強いものはない。
 
常に自身を変革
愛知・豊田市には、トヨタ自動車の本社がある。
世界をリードし続ける発展の要因は何か。
池田先生は、同社の代名詞ともいえる「カイゼン(改善)」の精神に触れ、呼び掛けている。
トヨタの合言葉である「カイゼン」は、今や世界中に知られる国際語となった。
自身を常に変革していく勇気──それが、トヨタの世界的な躍進を可能にしているのである。
   
毎日が戦いだ。
毎日が進歩のための闘争である。改善のための改善ではなく、勝利のための「改善」である。
価値を生むための「改善」に取り組むことだ。
生きた「改善」を繰り返していくことだ。それが、勝つための法則である。
今いる環境に安住して、新たな挑戦の行動を起こさなければ、その団体はやがて滅びていく。
大切なのは、常に自身を変革していくことだ。私たちでいえば「人間革命」である。
自らをつねに新たにし、成長させていくのが、我らの信仰である。そのための最高の方法が、唱題であり、学会活動である。
重要なのは行動だ。自らの行動で、道を切り開いていくことだ。
どうか全リーダーが先頭に立ち、新たな大前進への波動を起こしていっていただきたい。
 
諸天を動かせ
愛知の同志が、いつも胸に響かせる歌がある。
池田先生が作詞を手掛けた中部歌「この道の歌」。
2001年7月の随筆では、中部指導(1978年7月)の間隙を縫い、同歌の推敲を重ねた真情がつづられた。
先生は、歌詞の結びにあった「諸天舞う」を、「諸天舞え」と変えている。
たった一字の違いだが、ここに、一切を勝利に転じゆく深い一念が込められている。
この師弟の呼吸を生命に刻み、愛知の友は決然と立つ。
諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまう。
大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきである。
仏法の勝負は厳しい。
中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
必死の一人は、万軍に勝るのだ!
蓮祖は仰せである。
「頭をふれば かみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、(中略)教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(御書1187ページ)
強い祈りが、教主釈尊を動かし、諸天善神を存分に働かせていくのである。
猛然と祈り動けば、必ず、多くの人びとが諸天善神となって味方と変わる。
これが、大仏法の原則だ。
   
敬愛する愛知の友よ!
新しき、また新しき正義の戦いに勝利し、壮大なる広宣流布の大城を、護り築いていただきたい。  
偉大なる愛知よ!
新世紀の「創価の烈士」よ!
遂に来た決戦の時、未来永劫に、その名を輝かせゆくのだ。