2006年 7月座談会拝読御書

師弟に生きる時人生は大きく開く

     御義(おんぎ)口伝(くでん)
 御義口伝に伝(いわ)く師子吼(ししく)とは仏の説(せつ)なり説法(せっぽう)とは法華別(べつ)しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠(ししょう)授(さず)くる所の妙法子(し)とは弟子受(う)くる所の妙法・吼(く)とは師弟共に唱うる所の音声(おんじょう)なり作(さ)とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作(おこ)すなり



解説
▼上・下二巻。日蓮大聖人講述、日興上人筆録。日蓮大聖人が、晩年 (健治・弘安年中) 身延で法華経の要文について講義されたものを、日興上人が筆緑され、大聖人の允可を得て後世に伝えられたもの。本因妙抄・百六箇抄と共に重要な相伝書である。最初に「南無妙法蓮華経」について説き、次に巻上に序品から涌出品第十五まで、巻下に如来寿量品第十六から勧発品第二十八まで、および開結二経 (無量義経・普賢経) について説かれている。更に、巻下には別伝として「廿八品に一文充の大事」と「一廿八品悉南無妙法蓮華経の事」が収められている。各条では、初めに法華経二十八品ならびに開結二経中の文をあげ、天台・妙楽の釈を引き、次に「御義口伝に云く」として末法の寿量文底下種の法門が明かされている。 〔参考〕 →御義口伝〔御〕七〇一
日蓮大聖人は、身延に入山されてから亡くなるまでの9年間、仏法を永遠ならしめるために、全力で後継の弟子の育成に当たられました。「御義口伝」は、建治年間に行われた法華経の要文の講義を、日興上人がまとめられたもので、弘安元年(1278年)に完成したと伝えられています。
 「御義」とは、末法の御本仏である大聖人の法門ということです。大聖人は、法華経を、御本仏としての御境涯から自在に解釈され、それを「口伝」という形で伝えられたのです。南無妙法蓮華経こそが、あらゆる衆生を救いゆく根本の大法であり、大聖人の師弟は、その大法を広宣流布する最高に偉大な使命を担う存在であることを教えられています。

7月号 大白蓮華の巻頭言
人生は真剣勝負なり
           池田 大作

カテゴリ/目的別 宿命転換/因果の理法
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:708
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり
通解
蓮華とは、原因と結果の二法のことであり、また因果一体、つまり因果倶時(インガグジ)をあらわしているのです。
備考

カテゴリ/目的別 仏法と社会/生命の尊厳
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:708
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり
通解
”帰”とは、私たちの色法を意味し、”命”とは私たちの心法を意味するのです。この色法すなわち肉体・物質と、心法すなわち精神」・心の働きが不二(一体)なのを一極の位(仏)というのです。
備考

カテゴリ/目的別 実践/言動と振る舞い
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:708
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
声仏事を為す
通解
声が仏の振る舞いをする。心の扉を開く賢き振る舞いを!
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/信・不信
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:708
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり
通解
「南無」とはインドの言葉であり、中国、日本では「帰命」と訳されています。帰命する対象には人と法とがあります。人に帰命するとは、文底の釈尊即人本尊たる日蓮大聖人に帰命することであり、法に帰命するとは法本尊である三大秘法の南無妙法蓮華経に帰命することです。


カテゴリ/目的別 信心の基本/勤行・唱題
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:708
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと
通解
教というのはあらゆる生命体が発する言葉、音声のことです。章安(しょうあん)大師の「私記縁起」「(法華玄義)の序」には「仏の音声は全て衆生を教化する所作である。これを名づけて経という」とあります。
備考

カテゴリ/目的別 実践/未来への展望
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:715
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し
通解
(木は)根がふかければ枝や葉が茂り、(川は)源が遠ければその流れは長くなるようなものです
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/一生成仏・仏界湧現
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:720
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや、釈には挙因勧信と挙因は即ち本果なり、今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり豈今者已満足に非ずや
通解
妙覚の釈尊は私たちの衆生の血や肉であり、因果の功徳は骨の髄ではないでしょうか。(これは師である仏も久遠元初の自受用身、弟子である衆生もまた久遠元初の自受用身としてあらわれ、自受用身に約して師弟不二であることを明かされています)。また釈(天台大師の法華文句)は「因を挙げて信を勧む」とあり、因を挙げるのがすなわち本果です。(これは仏の種があることを悟らせることを成仏というからです)。今、日蓮が唱えるところの南無妙法蓮華経末法万年の衆生をことごとく成仏せしめるのです。どうして「今者已満足(こんじゃいまんぞく)」(今者(いま)は已(すで)に満足しぬ)でないといえましょうか。
備考


カテゴリ/目的別 信心の基本/勤行・唱題
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:722
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
合掌とは法華経の異名なり向仏とは法華経に値い奉ると云うなり合掌は色法なり向仏は心法なり、色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり
通解
「合掌」とは法華経の異名です。「向仏」とは南無妙法蓮華経におあいしていくということです。合掌は色法にあらわれた姿であり、向仏とは信心の心法です。色心の二法(生命)を妙法蓮華経であると悟ることを、法華経譬喩品で舎利弗歓喜踊躍(かんぎゆやく)したと説くのであり、歓喜踊躍とは心法色法一体の姿なのです。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/信・不信
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:725
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり解とは智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり
通解
一念三千の法理といっても、信の一字より起こり成り立っているのです。また三世のあらゆる仏も、みな御本尊を信じて成仏したのです。この信というのは、元品の無明(成仏を妨げる根本の迷い)を断ち切る利剣です。その理由は信とは「疑い無きを信と曰う」ということで、仏法に対する疑いや惑いを断ち破っていく利剣なのです。解(げ)(理解すること)とは智慧の別名です。信ずることは代価のようなもので、解とは宝のようなものです。智慧とは南無妙法蓮華経のことです。御本尊を信ずることは、仏の智慧をいただくもとであり、名字即(みょうじそく)の位なのです。信なくして解は得られず、解(南無妙法蓮華経)なくして真実の信もありません。信の一字こそ、妙覚(仏の悟り)の種であるのです。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/功徳
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:725
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり
通解
いま日蓮とその門下が御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えることが成仏の根本であると信じ納得することは、法華経信解品に「無上の宝聚(ほうじゆ)求めざるに自(おのずか)ら得たり」とある、その大宝珠を得たことになるのです。
備考


カテゴリ/目的別 信心の基本/折伏
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:736
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故(みんしゅじょうこ)とは日本国の一切衆生なり、生於悪世(しょうおあくせ)の人とは日蓮等の類なり、広(こう)とは南閻浮提(なんえんぶだい)なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉るものなり。
通解
日蓮大聖人は「大願」とは法華経を弘通することである。「衆生」とは日本国の全ての人々のことであり、「願って悪世に生まれた人」とは日蓮の一門のことである。「広く此の経を」というのは一閻浮提(いちえんぶだい)に題目を弘通することであり、今、日蓮の弟子・檀那が南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、大願を成就するのである。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/勤行・唱題
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:737
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と
通解
いま日蓮とその門下が南無妙法蓮華経を唱えるのは、法華経法師品に説かれてる「如来と共に宿する」人のことです。弥勒菩薩の後身といわれる傅大士(ふだいし)は「毎朝仏とともに起き、毎晩仏とともに安らかに寝ます。また瞬間瞬間に成道し瞬間瞬間に顕本するのです。」と述べています。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/勤行・唱題
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:742
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり
通解
いま、日蓮とその門下が、南無妙法蓮華経と唱えていく姿というものは、大風が吹くようものです。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/使命
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:748
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり
通解
師子吼とは仏の説法のことです。説法とは法華経、別して南無妙法蓮華経を説くことです。師子吼の「師」とは師である仏が授ける妙法であり、「子」とは、弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師子と弟子と、ともに唱える音声をいうのです。作とはおこすと読みます。「師子吼を作(おこ)す」とは、末法において南無妙法蓮華経を作(おこ)すことをいうのです。
備考

カテゴリ/目的別 信心の基本/使命
御書名/御書ページ 御義口伝/御書P:748
執筆日・場所 弘安元年戌寅正月一日 執筆:日興
御書本文
桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち