2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
私が師・戸田城聖先生に初めてお会いしたのは、終戦から2度目の夏。 父母が復員を待ちわびていた長兄の戦死の公報が届いた、2カ月半後のことであった。 命を賭して軍部政府と戦い抜かれた先生を信じて、19歳の私は、創価の平和闘争に身を投じた。 戦争は…
山本伸一は、最初の訪問地であるハワイのホノルルで、ハワイ会館の諸行事に臨み、日本からのハワイ親善交流使節団や南米親善交流使節団のメンバーを激励した。 十月二日には、ハワイ会館で行われた「世界平和の日」記念勤行会に出席した。 「世界平和の日」…
宗門は、混乱の度を深めていった。 宗門側は、山本伸一の法華講総講頭の辞任、学会の会長辞任をもって、学会攻撃はしないと言明していた。 しかし、「正信会」の学会員への仕打ちは、ひどさを増しており、学会は宗門に約束を守るように要請してきた。 宗門と…
山本伸一の周囲には、小説の舞台となる時代の「聖教新聞」の縮刷版、メモ書きした用紙、参考書籍などが置かれていた。 伸一は、メモ用紙を手にすると、記者に言った。 「では、始めるよ! 準備はいいかい」 口述が始まった。 一声ごとに力がこもっていく。記…
「忘れ得ぬ同志」は、七月二十九日から連載を開始した。 そして、小説『人間革命』第十一巻が、八月十日から週三回の連載でスタートしたのである。 第一章のタイトルは「転機」とした。 ──一九五六年(昭和三十一年)九月、戸田城聖が一切の事業から身を引き…
七月下旬、山本伸一は、「忘れ得ぬ同志」と小説『人間革命』を担当する「聖教新聞」の記者たちと、神奈川研修道場で打ち合わせを行った。 彼が、『人間革命』の連載再開を告げると、編集担当者は驚いた顔をした。 そして、ためらいがちに話し始めた。 「読者…
学会が山脇友政を告訴した六月七日、宗門の宗会議員選挙の結果が発表された。 学会攻撃を続ける若手僧らが、十六議席のうち過半数を占める十議席を獲得した。 七月三日には選挙後初の宗会が開かれ、彼らが宗会議長などの主要ポストを得たのだ。 そして翌四日…
日は赫赫たり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし(南条殿御返事、1529ページ) (通解) 日が赫々と照り、月が明々と輝くように、法華経の文字…
尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり (富木殿御返事、978ページ) (通解) 尼御前(富木常忍の夫人)のご病気のことは、わが身の上のことと思っているので、昼も夜も(健康を)諸天に祈っている。 同志への指針 大聖人…
いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし (兵衛志殿御返事、1090ページ) (通解) どのようなことがあっても、少しも弛んではならない。いよいよ声を張り上げてせめていきなさい。 同志への指針 壁に突き当たった時が…
日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり (妙密上人御消息、1241ページ) (通解) 日蓮は、日本国の中でただ一人、南無妙法蓮華経と唱えた。 これは須弥山となった始めの一塵であり、大海となった始め…
法華経の行者は川流・江河の中の大海・衆山の中の須弥山・衆星の中の月天・衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり (報恩抄、309ページ) (通解) 法華経の行者は、全ての川や大河の中の大海であり、多くの山の中の須弥山であり、多くの星…
山脇友政が陰でつながっていたのが、教学部長の原山高夫であった。 彼は、前年の一九七九年(昭和五十四年)九月、聖教新聞社に保管されていた資料文書の大量 のコピーを運び出した。 山脇は、それらを使いながら学会と宗門の離間工作を企て、マスコミにも歪…
東京は、青葉の季節であった。 山本伸一は、広宣流布への飛翔を阻む謀略の鉄鎖を断ち切り、大鷲のごとく希望の青空へ飛び立った。 第五次訪中、そして、長崎、福岡、大阪、愛知、岐阜、静岡の指導を終えて信濃町に戻った伸一は、本陣・東京の再構築をめざし…
山本伸一は、岐阜文化会館から各務原文化会館に移動した。 ここにも、彼の岐阜訪問を聞いた大勢の同志が集い、会館は人であふれ、玄関から入ることはできなかった。 「よし、自由勤行会をやろう!」 伸一は、こう言うと、建物の外にある螺旋状の非常階段を上…
五月九日、愛知県名古屋市の中部文化会館は、朝から長蛇の列が続いた。 「支部長、婦人部長の勤行会を行おう。 しかし、役職に関係なく、来たい方には皆、声をかけてください。自由勤行会です!」 同志は、欣喜雀躍して中部文化会館をめざした。 会館は、勤…
五月八日正午前、山本伸一は、関西文化会館を出発し、新大阪文化会館に立ち寄り、午後一時過ぎの新幹線で名古屋へ向かった。 九州から、五月二日に関西入りして以来七日間、伸一は、七万人以上の同志と会い、激励を重ねた。 また、その間に中大阪文化会館も…
六日は、午後から夜にかけて、三回にわたって関西指導部の勤行会が関西文化会館で行われた。 山本伸一は、この日も、いずれの勤行会にも出席した。 婦人には、「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)との御文を拝して、「幸…
妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり(妙心尼御前御返事 1484ページ) (通解) 「妙」の文字 は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服…