法華経 七譬について

法華経では譬えを用いて法理を分かりやすく説いており、次に挙げる代表的な七つの譬えを「七譬」といいます。

1「三車火宅の譬え」(譬喩品第三)
ある国の長者の家に火事が起こった際、中で遊んでいた子供たちに、長者が門外にある三車(羊車・鹿車・牛車)を与えると言って救出し、実際には三車に勝る大百牛車を与えます。三車は三乗、大百牛車は一仏乗を譬え、更に長者は仏、子供は一切衆生を譬えています。

2「長者窮子の譬え」(信解品第四)
幼少の時に家を出たまま、困窮して諸国を放浪していた長者の息子が、父である長者の城に至り、その城で長者の子供であることを知らずに掃除夫として働くことになります。息子は二十年間、真面目に仕事をして信用を得、長者の財産の管理を任せられるまでになります。そのうち臨終の近づいた長者は親族・国王・大臣などの前で、この息子が自らの子供であることを明かし、一切の財産を譲ることを宣言します。長者は仏、息子は仏子であることを知らない凡夫(経文上は二乗)を譬えています。

3「三草二木の譬え」(薬草喩品第五)
同一の雨は平等に大地を潤しますが、その雨を受ける草木は、上中下の草(三草)や、大小の樹木(二木)などさまざまであり、その種類に従って生長していきます。 衆生に機根の相違があっても、仏の説法は平等であり、すべての衆生を一仏乗に導いていくことを譬えています。

4「化城宝処の譬え」(化城喩品第七)
宝処を志して遠路を旅しながら、途中で疲れ果てて旅を断念しようとする人々に対し、導師が神通力で一つの城をつくり、これが目的地であるといって人々を励まします。そして、城で休息し、そこが目的地であると思っている人々に対し、導師はこの城は目的地ではなく、一時の休息のための化城であり、真実の目的地である宝処は近いと励まして、ついに長途の旅を成功させます。化城は方便の教えである三乗、宝処は一仏乗を意味し、仏が衆生の機根に応じて三乗の教えを説きながら、衆生を一仏乗の真実の悟りの境地に導いていくことを譬えています。

5「貧人繋珠の譬え(衣裏珠の譬え)」(五百弟子受記品第八)
親友の家を訪問したある人が、酒をもてなされ、酔って寝てしまいます。親友は出かけなければならなくなり、眠っている友人の衣服の裏に無価(無上の価値があること)の珠を縫い込んで外出します。酔いから覚めた友人は、宝を持っていることに気づかず、貧窮して諸国を放浪した後、たまたまその親友と再会しますが、親友は友人のみすぼらしい姿を見て驚き、衣服の裏に無上宝珠があることを教えます。 衣裏珠とは一切衆生がもっている仏性を譬え、貧窮する友人は自身の内に仏界があることに気がつかない凡夫を譬えています。

6「髻中宝珠の譬え(頂珠の譬え)」(安楽行品第十四)
転輪聖王は戦いに勲功のあった者に城や衣服、金銀などの財宝を与えてきましたが、髻の中の無上宝珠(髻中宝珠)だけは与えませんでした。髻中宝珠とは法華経を譬え、髻の中の宝珠を誰にも与えなかったのは、仏が爾前権教を説く間、実教を説かなかったことを譬えています。

7「良医病子の譬え(譬如良医の譬え)」(如来寿量品第十六)
多くの病気を治す良医に百人もの子供がいました。ある時、良医が遠い他国に旅に出た留守に、子供たちは毒薬を飲んでしまい、苦しさのあまり、地に転げ回ります。そこに父である良医が帰ってきて、すぐに良薬を調合して子供たちに与えます。子供たちの中で本心を失っていない者はこの良薬を飲んで治りますが、毒のために本心を失っている者は良薬を見ても疑って飲もうとしません。そこで良医は方便を設け「この薬をここに置いておくからお前たちは取って飲みなさい」と言い残し、他国に旅立ちます。そして使者を子供たちの所に遣わし、父である良医が亡くなったと告げさせます。子供たちはその知らせに嘆き悲しみ、毒気から醒めて本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病を治すことができました。良医は仏、子供は衆生に譬えられます。毒薬を飲むとは邪師の法を信受することをいい、本心を失うとは、これまでに積んできた善根を失うことを指します。良医が死を告げさせたというのは、仏が実は滅していないのに方便のために入滅の姿をとることを指し、子供たちが目覚めたとは仏法の利益を得たことを表しています。