小説「新・人間革命」 宝塔12 3月19日

 「戦争体験記」の発刊準備にあたる盛山光洋らを燃え立たせたのは、山本伸一が、一九六四年(昭和三十九年)の十二月二日に、沖縄の地で小説『人間革命』の筆を起こしていたということであった。

 そして、この歴史的な日に、伸一と盛山たちとの出会いがあったのだ。

 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない……」

 この平和宣言ともいうべき一節で始まる『人間革命』の起稿の日に、自分たちは、生涯、伸一についていこうと決意を定めたのだ。

 そう考えると、平和の永遠の礎となるような反戦の書を、自分たちの手で真っ先に完成させたかった。いや、それが沖縄に生きる自分たちの使命であると思った。

 七三年(同四十八年)五月の沖縄青年部総会で「沖縄決議」が行われた直後から、編纂会議は回を重ねてきた。

 戦争体験の収集は、手記としてまとめてもらうか、聞き書きしていくことになった。

 また、戦争体験がより多くの人の目に触れ、平和への波動を起こしていけるようにするため、その原稿を、聖教新聞の沖縄版に紹介してはどうかとの提案もなされた。

 聖教新聞社那覇支局も同意し、連載することが決まった。通信員も全面的に協力してくれることになった。

 取材が始まった。それぞれが戦争体験をもつ、友人の家族や近所の人などに会い、体験を聞き出すのだ。

 「反戦平和のために、戦争の真実を証言として残しておきたいのです」

 皆、趣旨には快く賛同してくれた。しかし、実際に本題に入ると、涙ぐみ、口をつぐんでしまう人が少なくなかった。

 戦場で受けた恐怖、むごたらしい死、愛する家族を奪われた悲しみ――思い出すには、あまりにも辛いことであった。

 青年たちは困惑した。

 だが、勇気を奮い起こして懇請した。

 「苦しいお気持ちは、お察しいたします。でも、今、その戦争の悲惨さが忘れ去られているんです。将来、同じ過ちを繰り返さないために、真実を話していただけないでしょうか」

 誠実が、真剣さが、その固い口を開かせた。

 誠意によって動かせぬ心はない。