小説「新・人間革命」 3月21日 宝塔14

ひめゆり学徒隊であった、その女性は、白骨の残る壕にとどまった。

 終戦を迎え、日本の降伏を聞かされても、彼女は信じなかった。

 そして、八月二十二日まで、壕の中で息を潜めていたのである。

 語りながら婦人は、何度も声を詰まらせ、泣き濡れた。取材した女子部員も、共に泣いた。

 婦人は、最後に、怒りをかみしめるように、こう語るのであった。

 「国のため、必ず勝つ、と教え、信じ込ませた教育。今になって軍国主義教育がいかに大へんなものであったかが分かります。

 私は戦争を体験したが故に、戦争は再び起こしてはならないと思うし、また、あのような軍国主義の教育にも絶対に反対しなければならないと思っています」

 この婦人の証言は、八回にわたる連載となった。支局には、感動の声や反戦を誓う声などが、数多く寄せられた。

 体験には、何ものにも勝る説得力がある。共感がある。体験を語ることは運動の波動を広げる。

 編纂委員会のメンバーは、ますます闘魂を燃え上がらせた。

 集められた証言は、どれも戦争の暗部をえぐり出していた。

 「集団自決」の悲劇もあった。

 また、沖縄の人びとにとっては、米軍だけでなく、日本兵の横暴もまた大きな恐怖であった。

 日本兵は、自分たちが隠れるために、住民を殴って自然壕から追い出し、食糧を奪い取ったのだ。それを拒んだために射殺された人もいた。

 壕の中で空腹のために子どもが泣き出すと、日本兵に“敵に見つかるからすぐに殺せ”と言われ、銃剣を突きつけられた母親もいた。

 さらに、こんな婦人の証言もあった。

 ――死を覚悟していた軍人の夫と離れ、四人の子どもを連れて本土に疎開。彼女は子どもを身ごもっており、疎開先で女の子を出産した。

 戦争は終わっても、夫が戦地から帰ることはなかった。

 戦後は、女手一つで五人の子どもを育てるという“闘争”が待っていた。

 疎開先で生まれた末娘が急性肺炎を患った。しかし、高価なために特効薬のペニシリン治療を行うことができず、三歳で死んだ。