小説「新・人間革命」友誼の道39 6月16日
山本伸一の一行は、大学構内を見学したあと、再び、「臨湖軒」に戻って、教員らと懇談した。
北京大学は、新生中国の未来を担う大学として、世界の注目を集めていた。
伸一は、率直に幾つかの質問をぶつけてみた。
「核の研究についてどう考えるか」「外国人留学生の受け入れについて」「中国の受験制度をどう考えるか」「教授・学生の国際交流の必要性を感じているか」などであった。
伸一は、真摯な思いで、こう語った。
「皆さんと共に新しい時代を築きたい。未来に横たわるすべての問題を、力を合わせて一緒に乗り越えていきたい――それが私の願いです。だから大いに意見を戦わせ合いましょう」
副学長をはじめ、大学関係者は、その伸一の心に応えるかのように、率直に、真剣に意見を述べてくれた。
互いに、人類の未来を開こうとする熱い思いを感じ合う、充実した意見交換となった。
情熱は情熱を引き出し、真心は真心を引き出す。その生命の共感の調べこそが対話なのだ。
この日の出会いから、北京大学と創価大学の交流が始まったといってよい。
後に、両大学は交流協定を結び、多くの教員や学生が行き来することになる。それは、創立者自らが架けた、教育交流の金の橋であった。
未来は、青年の腕にある。青年の進む道を切り開くことは、未来を開拓することである。
伸一の北京大学での講演も三度に及んでいる。
また、中国で初めて、伸一に名誉教授の称号を贈ったのは、北京大学であった。
翌五日の午前、伸一たちは、車で北京の北西に向かっていた。
道の両側に茂る、並木の緑が美しかった。やがて、田畑が広がり、峨々たる山が迫ってきた。
その雄大な峰を縫うように走る、石とレンガを積んだ城壁が見えた。万里の長城である。
長城のある軍都山(チュントゥーシャン)の主峰・八達嶺(パーターリン)に到着した時には、既に昼近くになっていた。
伸一たちは、中日友好協会の金蘇城理事らの案内で長城を歩いた。
北京大学は、新生中国の未来を担う大学として、世界の注目を集めていた。
伸一は、率直に幾つかの質問をぶつけてみた。
「核の研究についてどう考えるか」「外国人留学生の受け入れについて」「中国の受験制度をどう考えるか」「教授・学生の国際交流の必要性を感じているか」などであった。
伸一は、真摯な思いで、こう語った。
「皆さんと共に新しい時代を築きたい。未来に横たわるすべての問題を、力を合わせて一緒に乗り越えていきたい――それが私の願いです。だから大いに意見を戦わせ合いましょう」
副学長をはじめ、大学関係者は、その伸一の心に応えるかのように、率直に、真剣に意見を述べてくれた。
互いに、人類の未来を開こうとする熱い思いを感じ合う、充実した意見交換となった。
情熱は情熱を引き出し、真心は真心を引き出す。その生命の共感の調べこそが対話なのだ。
この日の出会いから、北京大学と創価大学の交流が始まったといってよい。
後に、両大学は交流協定を結び、多くの教員や学生が行き来することになる。それは、創立者自らが架けた、教育交流の金の橋であった。
未来は、青年の腕にある。青年の進む道を切り開くことは、未来を開拓することである。
伸一の北京大学での講演も三度に及んでいる。
また、中国で初めて、伸一に名誉教授の称号を贈ったのは、北京大学であった。
翌五日の午前、伸一たちは、車で北京の北西に向かっていた。
道の両側に茂る、並木の緑が美しかった。やがて、田畑が広がり、峨々たる山が迫ってきた。
その雄大な峰を縫うように走る、石とレンガを積んだ城壁が見えた。万里の長城である。
長城のある軍都山(チュントゥーシャン)の主峰・八達嶺(パーターリン)に到着した時には、既に昼近くになっていた。
伸一たちは、中日友好協会の金蘇城理事らの案内で長城を歩いた。