小説「新・人間革命」 懸け橋47  9月24日

 再び特急寝台列車「赤い矢」号でレニングラードを発った山本伸一が、モスクワに着いたのは翌十五日の朝であった。

 モスクワは初冬を思わせる気温であった。

 そして、正午には、ホテルを出発し、宗教都市・ザゴルスク市(現在のセルギエフ・パッサード市)へと向かった。この訪問は、ソ連側の強い勧めによるものであった。

 パトカーに先導され、十数台の車が連なって進んだ。車窓には、牧草が刈り取られた大地が広がり、色づいた白樺の林が続いていた。モスクワを発って一時間余りでザゴルスクに到着した。

 ザゴルスクは、モスクワ市の中心から約七十キロほど離れており、十四世紀以来、ロシア正教の中心地である。

 一行は、タマネギ型のドームをもつウスペンスキー大聖堂など、歴史的な宗教建築を視察した。

 随所で、額に深い皺を刻んだ老婦人らが、祈りを捧げていた。

 祈りは、人間の本性に深く根差している。人は、希望がなければ生きられない。希望ある限り、祈りがある。

 ロシアの作家チェーホフは断言した。

 「人間は信仰を持たなくてはいけない、すくなくとも信仰を求めなくてはいけない、でなければ生活はむなしくなる」(注)

 そのあと、伸一たちは神学アカデミーを訪問し、ウラジミル学長らと昼食を共にしながら会談した。

 「ソ連の宗教界関係者は、世界平和のために努力する方々の来訪を歓迎します!」

 学長は、こう言って伸一を迎え、神学アカデミーの概要について説明してくれた。

 それを受けて伸一は、ソ連の宗教事情などについて質問していった。

 ザゴルスクでは、ロシア正教は風俗や習慣として、深く人びとの生活に根差しているようであった。また、精神的な「なぐさめ」や「癒やし」を、民衆にもたらしているようだ。

 しかし、新しき創造をもたらす精神の活力源としての、宗教本来の役割を果たしているようには見受けられなかった。

 人間の心を磨いてこそ、社会も輝きを放つ。人間精神の活性化をいかにして図るか――それは、ソ連の大きなテーマになると伸一は思った。



引用文献:  注 「三人姉妹」(『チェーホフ全集11』所収)松下裕訳、筑摩書房