小説「新・人間革命」 信義の絆21  11月22日

答礼宴は、和やかな歓談に移った。

 山本伸一と峯子は、各テーブルを回って皆に声をかけ、感謝と御礼を述べていった。

 伸一は、必ず相手の名前を呼んで話を始めた。また、それぞれの真心の行為を一つ一つあげて、丁重に感謝の意を表した。

 ある人には「図書贈呈式での温かいお言葉は、生涯、忘れません。勇気をいただきました」と述べた。

 また、ある人には「陰でご尽力くださったことは、よく知っております。そのご尽力があってこその、今回の訪中の成功です」と語った。

 伸一の頭の中には、一人ひとりの顔と名前はもとより、これまでのやり取りや、どのように尽力してくれたかが、克明に記憶されていた。

 通り一遍のあいさつでは、儀礼的な交流しかできない。真実の人間交流のためには、徹底して相手を知り、琴線に触れる言葉を交わすことだ。

 答礼宴が終わりに近づいたころ、中日友好協会の廖承志会長が呼ばれて席を外した。電話がかかってきたようだ。

 戻ってきた廖会長は、小声で伸一に告げた。

 「山本先生、実は周総理が待っておられます」

 突然の話であった。

 トウ小平副総理との会談で、周恩来総理の病状が、思っていた以上に重いと聞いていた伸一は、会見を丁重に辞退した。

 「いいえ、周総理にはお会いするわけにはいきません。

 お会いすれば、お体にさわります。そのお心だけ、ありがたく頂戴いたします」

 廖会長は、いかにも、“困った”という顔で言った。

 「会見は、周総理の強い希望なのです。

 総理は万難を排しても、山本先生とお会いする決意を固められていたようです」

 もはや、変更のできる状況ではないようだ。

 伸一は言った。

 「わかりました。お会いさせていただきます。しかし、ひと目、お会いしたら失礼させてください。総理にご負担をおかけしてはなりません」

 事実、この時の周総理の体調は、決して会見などできる状況ではなかったのである。

 周総理の医師団も、こぞって、伸一との会見に反対したのだ。