きょうの聖教新聞  2007・11・24

★名字の言

▼「昔な、秋田の国に、八郎って山男が住んでいたっけもの」-小学生が演じた劇「八郎」に、胸が熱くなった

▼心優しい山男・八郎は、家一軒ほどの大男。ある日、浜で幼い男の子が泣いていた。海が荒れて村の田んぼが潮水をかぶってしまう、と。そう聞くと、八郎は山を動かし波をせき止めた。が、海は一段と荒れ狂い、田んぼに押し寄せてきた

▼ついに、八郎は体を張って、自ら海へ。波を押し返しながら叫んだ。「分かったァ!おらがなして今までおっきくおっきくなりたかったか!」「こうしてみんなのためになりたかったなだ」と(『八郎』斎藤隆介・作)

▼金もうけにまつわる不祥事が絶えない。偽証、偽装、不正・・・・。創業時は、他人に喜んでもらえる良い品物を、と努力を重ねたに違いない。代を重ねるごとに、その精神を忘れてしまったのか。そう問わずにはいられない

▼生きていくうえで、何に喜び幸福を感じるか。日蓮大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)と仰せである。自分の持てる力を発揮して社会のために尽くす。ここに“自他共の喜び”が生まれる。

▼一人一人が、今なぜ大きく力をつけ、成長していかなければならないのか。その答えも、そこにある。( 濤 )

★わが友に贈る
 「現世安穏・後生善処」
 現在も未来も
 我らの人生は勝利!
 歓喜の拡大で
 黄金の歴史を!