小説「新・人間革命」 信義の絆25 11月27日

山本伸一は、周恩来総理を疲れさせてはならないと思い、自分の方から積極的に話をすることは避けた。

 また、同席していた中日友好協会の廖承志会長に、会見を切り上げた方がいいのではないかと、何度か目配せした。

 しかし、廖会長は、そのたびに、“まだいい”と合図を返してきた。

 伸一は、自分の思いを口にした。

 「周総理には、いつまでもお元気でいていただかなくてはなりません。

 中国は、世界平和の中軸となる国です。そのお国のためにも、八億の人民のためにも……」

 すると総理は、力を振り絞るようにして語り始めた。

 「山本先生は、中国は中軸と言われましたが、私たちは、超大国にはなりません。

 また、今の中国は、まだ、経済的にも豊かではありません。しかし、世界に対して貢献はしてまいります。

 二十世紀の最後の二十五年間は、世界にとって最も大事な時期です。

 全世界の人びとが、お互いに平等な立場で助け合い、努力することが必要です」

 「まさに、その通りだと思います」

 伸一は、遺言を聞く思いであった。

 会見は、三十分に及ぼうとしていた。伸一は、周総理といつまでも話し合っていたかった。しかし、もうこれ以上、時間を延ばしてはならないと思った。

 彼は、「総理のご意思は、必ず、しかるべきところにお伝えします。お会いくださったことに、心より御礼、感謝申し上げます」と言って、会見を切り上げた。

 伸一は、周総理に、ささやかな記念の品として“萩と御所車”の日本画を贈った。

 総理は、その夜から、それまで部屋に飾ってあった絵を、伸一が贈った絵に掛け替えたという。

 中国の古典には「二人心を同じくすれば、その利きこと金を断つ」(注)とある。強い友情は、どんなに固い金属をも断つ力になるというのだ。

 周総理と伸一は、これが最初で最後の、生涯でただ一度だけの語らいとなった。

 しかし、その友情は永遠の契りとなり、信義の絆となった。総理の心は伸一の胸に、注ぎ込まれたのである。



引用文献:  注 『易経』高田真治・後藤基巳訳、岩波書店