小説「新・人間革命」 信義の絆51   12月28日

 大平正芳蔵相は、山本伸一をじっと見つめ、何度も頷いた。

 伸一は話を続けた。

 「この日中平和友好条約は、日中のみならず、世界にとっても極めて大事です。社会主義の中国と資本主義の日本が『平和友好』を宣言することは、画期的なことです。

 人類は、いつまでも、『冷戦』を続けている時代ではありません」

 「それは、その通りです。『地球はひとつ』の時代です」

 大平蔵相との語らいは、日中友好への決意を固め合う対談となった。

 日中平和友好条約の締結への道のりは険路であった。蔵相の言っていたように、二月になると、条約に覇権反対の条項を盛り込むかどうかで、交渉は、暗礁に乗り上げることになる。

 「反覇権条項」は、日中共同声明でうたわれたもので、「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」とある。

 この共同声明が発表されると、ソ連は、日本政府に、「反覇権条項」はわが国に対するものであり、“反ソ共同声明”ではないかと、強硬に抗議してきた。

 すると、日本国内には、日中平和友好条約から、「反覇権条項」を外すべきであるとの声が起こったのである。

 しかし、中国側は「反覇権条項」は、断じて入れなければならないとの姿勢を貫いていた。

 意見調整は難航した。

 ソ連に配慮しつつ、「反覇権条項」が盛り込まれた日中平和友好条約が調印されたのは、伸一の「日中国交正常化提言」から十年後の、一九七八年(昭和五十三年)八月のことである。福田赳夫首相、大平自民党幹事長の時代であった。

 日中の歴史は、さらに大きく動いたのだ。

 時代の底流には、既に滔々たる平和の流れがつくられていたのである。

 伸一は喝采を送った。

 かのアインシュタインは、平和創造の道について、こう述べている。

 「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」(注)



引用文献:  注 『アインシュタイン平和書簡2』O・ネーサン、H・ノーデン編、金子敏男訳、みすず書房