小説「新・人間革命」 SGI22  1月28日

避難民の列は延々と続いていた。自動車やオートバイは軍に接収されたために、皆、生活必需品を背負い、ひたすら歩くしかなかった。

 季節は真冬である。零下一○度を下回る日もあった。飢えと寒さで、老人や病人、赤ん坊などが次々と死んでいった。それは、地獄絵図さながらの光景であった。

 命がけの旅を続け、一九四五年(昭和二十年)四月、父親のいるヘルゴラント島に近いクックスハーフェンの町にたどり着いた。

 だが、守備隊として島にいる父と会うことはできなかった。

 翌月、ドイツは無条件降伏する。ようやく父親と再会できたのは、降伏から一カ月後のことである。

 敗戦は、それまでの価値観を崩壊させた。ドイツには、昨日まで敵国であったアメリカなどの文化があふれた。

 ディーター・カーンは社会の変貌に空虚さを感じた。ポッカリと空いた心の穴を埋めようとするかのように、ジャズにのめり込み、高校卒業後、しばらくして音楽学校に進んだ。

 しかし、音楽を生活の糧にしていくには困難な時代であった。彼は、英語を学び、駐留米軍の通訳となり、やがて航空管制官となった。

 カーンは結婚し、経済的には恵まれた生活を送った。だが、仕事のストレスから、家庭不和や不眠症などに悩むようになる。また、敗戦の時にいだいた心の空虚さが、常につきまとっていた。

 そんな時、米軍の軍人の夫人から仏法の話を聞かされた。

 座談会にも出席した。明るく、確信にあふれた皆の信仰体験を聞くなかで、仏法に心がひかれていった。

 座談会の中心者である米軍の軍人は、仏法を知るには実践することだと言う。

 カーンは、思い切って信心してみることにした。六八年(同四十三年)のことである。

 牧口常三郎初代会長は、信仰について、次のように指導している。

 「宗教というものは体験する以外にわかるものではない」「水泳をおぼえるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても実際にはおぼえられない。勇気を出して自ら実験証明することです」(注)



引用文献:  注 『牧口常三郎箴言集』辻武寿編、第三文明社