小説「新・人間革命」  2月7日 SGI 31

高康明がシンガポールに来たのは、日本軍による占領直後であった。日本はシンガポールを「昭南」と呼び、現地の人たちに対し、傍若無人な振る舞いを重ねた。

 高は、それが腹に据えかねていた。

“あんなことでは、日本人は嫌われるだけだ。同じ人間ではないか!

 現地の人に信頼されなければ、何をやってもうまくいくはずがない”

 彼は、知り合った現地の人たちから、マレー語や福建語を教えてもらい、現地の言葉でコミュニケーションをとろうと努力した。

 敗戦後、高は収容所に入れられた。収容所を出た彼を、現地の人たちは温かく迎えてくれた。

「占領時代もあんたは威張らなかった。シンガポールの言葉をしゃべるあんたは、俺たちの仲間だ。あんたをみんなで応援するよ」

 本当の信頼は、地位や立場によって得られるものではない。人柄が信頼を勝ち取るのだ。人柄こそが人の心を結ぶ力となるのだ。

 高は、シンガポールの人たちが、“憎むべき日本人”を仲間として迎えてくれた心に、深い感動を覚えた。

 彼は思った。

“俺はここに残留し、シンガポール人として、シンガポールの人びとのために尽くしたい……”

 現地の人たちは、敗戦で一文無しになっていた彼を助けてくれた。

 その尽力によって、彼はシンガポールで船舶用の食糧納入業を始めることができた。寄港する船に野菜をはじめ、食糧を納入する仕事である。

 一九五二年(昭和二十七年)四月、対日講和条約が発効。やがて日本船も頻繁に寄港するようになった。

 彼は、日本とシンガポールのパイプ役になって、平和のために寄与したいと思った。

 高康明は、商用で日本に行った折、商船学校時代の教官から、信心の話を聞かされた。

「この日蓮大聖人の仏法こそ、世界の人びとを救う幸福の道なんだよ」

 元教官の確信にあふれた話が胸に響いた。

 この仏法対話が契機となり、六四年(同三十九年)六月、高は信心を始めた。

 “シンガポールの人たちに真実の仏法を伝えよう。それが最高の恩返しになるはずだ!”