小説「新・人間革命」  2月9日 SGI 33

 クアラルンプール支部支部長になった高康明と共に、勇んで活動を開始したのが、ペナンで雑貨商を営む柯文隆と、その弟でクアラルンプールにいた柯浩方であった。

 柯文隆は、一九二八年(昭和三年)に、中国南部にある現在の広東省潮州(チャオチョウ)市に生まれた。

 文隆は四人兄弟の長男であり、十三歳年下の浩方は末っ子であった。

 四五年(同二十年)の十二月、父親が病死する。文隆は、一家の生計を担うために、イギリスの植民地であったマレー半島西岸のペナン島で働くことにした。多くの同郷人が、ここで働いていたのである。

 彼は、一生懸命に働いては、せっせと家族に送金し、数年後に母親を呼び寄せた。

 弟の浩方も、十五歳になるとペナンに来た。兄弟で力を合わせて働き、日用雑貨店を開いた。

 文隆はクアラルンプールにも店を出した。その管理を任された浩方は、母と一緒に転居した。

 やがて浩方は、店を譲り受け、着実に発展させていった。

 一方、ペナンの柯文隆の店の経営は、次第に行き詰まっていった。

 そんな折、文隆は、仕事で付き合いのあった高康明から仏法の話を聞いたのである。

 高は、商売一筋に励んできた柯文隆に、わかりやすく信心について語っていった。

 「世の中には、努力をしても報われないことが、あまりにも多い。しかし、この信心をすれば、努力した分だけ幸せになれます。“おまけ”も“不足”もない。

 自分が努力し、信心に励んだ分がすべて結果となって現れる。つまり、仏法というのは、生命の厳然たる原因と結果の法則なんですよ」

 柯文隆は「“おまけ”も“不足”もない」との言葉が気に入った。

 相手の幸福を願い、仏法対話に励むなかで、新しい説得性ある英知の言葉が生まれる。

 巧みな比喩や明快な理論は、現場の知恵であり、真剣さの産物といってよい。

 柯文隆は信心を始めた。唱題にも活動にも懸命に取り組んだ。すると次々と知恵がわき、商売は軌道に乗った。

 そのなかで彼は、幾つもの功徳を実感していった。