小説「新・人間革命」 SGI36  2月14日

 前年の学会本部での出会いから約半年、今、世界平和会議で柯文隆は高康明の隣の席に座り、満面に笑みをたたえていた。

 山本伸一は、二人を見て言った。

 「多民族国家であるマレーシア、そして、シンガポールに、人間共和と世界平和のモデルをつくり、社会に大きく貢献していってください。

 私たちには、仏法という異体同心の哲学があります。したがって、それぞれの国にあって、人びとの団結の要になっていく使命があります。

 また、未来のために、青年を育ててください。二十一世紀は青年に託す以外にありません。青年が育っていったところが、すべてに勝利します。

 マレーシアも、シンガポールも、これからどんどん発展していくことでしょう。また、皆さんの力で、必ず、そうさせてください。未来を楽しみにしていますよ」

 通訳が伸一の言葉を訳し終えると、柯文隆は、感極まった顔で言った。

 「先生、ぜひマレーシアにいらしてください」

 伸一は、間髪を入れずに答えた。

 「必ずまいります」

 「先生がお見えになる時までに、世界の模範の創価学会をつくります。青年を育て上げます」

 この世界平和会議の翌年、柯文隆はマレーシア本部の本部長となった。

 彼は「団結第一」を叫び抜き、マレーシアに幸福と平和の波を広げた。

 しかし、一九八二年(昭和五十七年)七月、伸一の訪問を待たず、病のために他界したのである。五十三歳であった。

 柯文隆は、自らの人生の時間を自覚していたかのように、一日一日を、一瞬一瞬を、マレーシアの人びとの幸せのために懸命に尽くし抜いた。

 「永遠に生活する心構えで働け。同時に今すぐ死ぬ心構えで働け。そして今すぐ死ぬ心構えで他人にふるまえ」(注)と、文豪トルストイは叫んだ。この言葉のごとく柯文隆は生きたのだ。

 彼は「臨終只今にあり」との決意で、力の限り、命の限り、皆を励まし抜いてきた。それによって、マレーシア創価学会の大発展の礎が築かれたのだ。

 葬儀には、全国からメンバーが集い、彼の死を悼みつつ、その志を受け継ぎ、マレーシアの繁栄と平和建設を、固く、強く心に誓ったのである。



引用文献:  注 トルストイ著『人生の道』原久一郎訳、岩波書店