小説「新・人間革命」 SGI40  2月19日

 南忠雄は神奈川県横須賀の出身で、小学校三年の時、病で父親を亡くしていた。

 以来、母親が和裁の仕事をして子ども五人を育てた。生活は至って苦しかった。

 彼が中学に入った年に母が入会。それから間もなく彼も信心を始めた。一九五四年(昭和二十九年)のことであった。一家に希望の光が差した。

 中学を卒業すると、彼は働きながら定時制高校に通った。さらに夜間の大学に進み、新聞学を学んだ。

 南は、学会活動に励むなかで、民衆の幸福と世界の平和を実現することが創価学会の目的であり、自分もその使命を担っていることを自覚するようになっていた。

 また、病苦や経済苦、家庭不和などの悩みで押しつぶされそうになっていた人が、信心で立ち上がり、人生の勝利劇を堂々と演ずる姿を、幾度となく見てきた。

 それが信仰への確信となり、広宣流布に生き抜こうとの思いをいだくようになっていった。

 大学卒業後は本部職員として採用され、聖教新聞の記者となった。念願の職場であった。

 しかし、入社後、体調を崩してしまった。

 南は思った。

 “仕事をするうえで大事なのは健康だ。体を鍛え、体力をつけよう”

 仕事が多忙であればあるほど、食事や休息の取り方を工夫したり、体を鍛えるなどの努力が大切になる。健康管理の責任は、百パーセント自分にあるととらえることだ。

 彼は、毎朝、始業前にランニングをするようになった。その南の姿を、山本伸一は、じっと見ていたのだ。

 黙々と自らを鍛錬していくなかに、力は蓄積されていくのだ。

 南は、ガーナ行きの希望を伝えて十日ほどしたころ、伸一から会食に招かれた。

 「君はガーナに行ってくれるんだね」

 「はい!」

 「ガーナは英語だな。君は英語はできるのか」

 「できません」

 「かまわないよ。当たって砕けろの心意気で行きなさい。

 『人間到る処青山あり』だ。活躍の舞台は広い。広宣流布大望をもって、人生を生き抜くことだよ。これからは世界が大事になる。行ってくれるね」