小説「新・人間革命」 人間外交37 4月15日

 トウ小平副総理は、山本伸一の言葉に、鋭く反応した。

 「中ソの人民同士は、ずっと良好な関係を保ってきました。問題は指導者です。今後、どんな人物が現れるかです。

 ただ私たちは、ソ連が中国に侵攻してくるという心配はしていません」

 トウ副総理は、ソ連への厳しい批判を繰り返してはきたが、伸一が中国首脳に伝えた、ソ連は中国を攻めないというコスイギン首相の言葉を、深く心にとどめていたにちがいない。

 最後に副総理は、中日両国の関係の発展は、民間による友好の促進が極めて重要であるとして、伸一の貢献に深く感謝の意を表した。

 伸一は言った。

 「大中国の行方は、副総理の双肩にかかっております。中国人民のためにも、日中友好のためにも、お元気でご活躍ください!」

 彼は、トウ副総理と固い握手を交わし、人民大会堂を後にした。

 宿舎に戻った伸一は、峯子に言った。

 「周総理は、トウ副総理に、後事を託そうと考えられているようだね。

 昨年、周総理とお会いした時、総理は『トウ副総理と話し合われましたね』と確認され、『私の方から、多くを話さなくてもよろしいですね』と言われた。それだけ、トウ小平副総理を信頼されているのだと思う」

 周総理は、文革を推進した四人組が、自分の亡き後も権力を意のままに操るようになったら、中国の未来はないと考えていたのだ。

 そして、将来の布石のために、後継のリーダーとしてトウ小平に着目していたのである。

 二人は一九二二年(大正十一年)に、留学先のフランスで交友が始まったともいわれる。

 周は二十四歳、トウは十八歳である。周の下宿で共に革命機関誌を作り、中国の未来を語り合ってきた。

 さらに、長征、抗日戦争、新中国の建設と、二人は同志として、幾多の困難を乗り越えてきた。

 「誠実な友として相携えて共に耐えぬいてきた苦労にまさる強いきずなはない」(注)とは、哲学者ヒルティの実感である。

 労苦を共にすれば、互いの本質が見えてくる。辛酸が人の真価を試し、浮き彫りにするからだ。



引用文献:  注 ヒルティ著『幸福論』草間平作・大和邦太郎訳、岩波書店