小説「新・人間革命」 人間外交43  4月22日

一九七〇年(昭和四十五年)のカンボジアのクーデターから五年、ロン・ノル政権はアメリカの支持を失い、七五年(同五十年)四月十七日、遂に首都プノンペンは、民族統一戦線によって陥落した。

 山本伸一の一行が日本を発つ前から、プノンペンの陥落が目前に迫り、内戦の終結が近いことが報じられていた。

 それだけに伸一は、できることならば、シアヌーク殿下と会い、共にアジアの平和を願う一人として、カンボジアの新しい出発のために意見を交換したかったのである。

 “世界のために、苦悩する人びとのために、私に何ができるのか。何をすべきなのか”

 伸一は、常に自身にそう問いかけてきたのだ。

 シアヌーク殿下との会見が決まったのは、内戦が終わった十七日の午後である。

 人を介して連絡を取ると、殿下も、「ぜひ、お会いしたい」とのことであった。

 中日友好協会の関係者が、伸一に言った。

 「これからシアヌーク殿下と会見されますと、日程を変更せざるをえません。そうなると、ご不便をおかけすることがでてきます。次の訪問地である武漢への移動も、飛行機ではなく、列車で二十時間近くかけて行くようになりますが……」

 「もちろん、かまいません。どうしても殿下とは、お会いしたいのです」

 伸一が会見会場である元首府の接待室に行くと、部屋の入り口に、気品をたたえ、柔和な微笑を浮かべた背広姿の殿下が立っていた。

 仏教徒である殿下は合掌して伸一を迎えた。

 伸一も合掌して、礼にこたえると、「ボンジュール(こんにちは)。お待ちしていました」という、殿下の洗練されたフランス語が響いた。

 会見が始まった。

 「内戦が終結した大切な時に、敬愛する閣下とお会いできて光栄です。

 お国へ帰られたら、人民に、真っ先になんと言われますか」

 伸一が尋ねると、その言葉が中国語に訳され、それからフランス語に訳された。そして、殿下の話は中国語に訳されたあと、日本語に訳された。

 プノンペン解放の喜びのなかで行われたはずの会見だが、なぜか、殿下の表情は暗かった。