小説「新・人間革命」 人間外交46  4月25日

会見の時間は一時間近くになろうとしていた。

 シアヌーク殿下にとってこの日は、内戦が終わり、特別に忙しい日であるはずである。

 山本伸一は、最後に、こう尋ねた。

 「日本人に対する要望なり、批判があれば、お聞かせください」

 殿下は率直に答えた。

 「日本政府は、クーデターで政権を奪ったロン・ノル政権を支持し続けてきました。

 したがって、ここ数年間は、日本政府とは外交関係をもつことはできないでしょう。しかし、私たちは、日本人民とは友好関係を望んでいます」

 伸一は言った。

 「わかりました。日本人民に伝えます。外交といっても、根本は民衆と民衆が結ばれることです。それが、私の信念です」

 殿下の視線は、常に人民に注がれていた。

 第二次大戦後、日本に対する戦時損害賠償の請求権を放棄したのもシアヌーク殿下であった。

 日本国民が敗戦で苦しい生活をしている時に、賠償を請求するのはしのびないとの思いからであった。

 文豪ユゴーは叫んだ。

 「民衆が苦しんではいけません! 民衆が飢えてはいけません! そこにこそ深刻な問題があり、そこにこそ危険があるのです」(注)

 政治も、国家も、指導者も民衆のためにある。民衆を忘れれば、すべては抑圧の装置となる。

 “初対面だが、率直に意見の交換ができた。心の通う対談になった”と伸一は思った。

 彼は丁重に礼を言い、いとまを告げた。

 殿下は自ら部屋のドアを開けて、見送ってくれた。その心遣いに、伸一はいたく恐縮した。

 彼は、宿舎に戻ると直ちにペンを執り、シアヌーク殿下への書簡を認めた。

 「殿下の、母上を憂い、カンボジアの繁栄を願い、これまでの苦難の道を転じて、栄えゆく平和を祈念するご心境のほどは、同じ仏教者である私には痛いほど胸に響きました」

 そして、内戦を終えて新しい未来へ出発する歴史的な日に会見できたことは、「生涯、心のスクリーンから消えぬことでしょう」と記した。

 そして伸一は、峯子と共に、カンボジアの繁栄と平和を祈り、唱題するのであった。



引用文献:  注 「言行録」(『ヴィクトル・ユゴー文学館9』所収)稲垣直樹訳、潮出版社