小説「新・人間革命」  4月26日 人間外交47

シアヌーク殿下の母堂であるコサマク皇太后が死去したのは、山本伸一との会見から九日後の四月二十七日であった。

 また、同三十日には、ベトナム共和国南ベトナム)の首都サイゴンが陥落。ベトナム戦争終結する。時代は激しく動いていたのだ。

 カンボジアの内戦は終わった。しかし、平和は訪れなかった。むしろ、それは、新しい「恐怖と残酷の時代」の幕開けであったのだ。

 プノンペン陥落後、カンボジアを支配したのは、民族統一戦線の実権を握っていた極左の「クメール・ルージュ」(赤いクメール)、すなわちポル・ポト派であった。そして、

独裁者ポル・ポトによる恐怖政治が始まったのである。

 シアヌーク殿下はプノンペン解放から五カ月後にカンボジアに戻るが、荒廃した王宮で幽閉生活を強いられることになるのである。

 ポル・ポト民主カンプチア政府を樹立して首相となり、農本主義的な共産主義を強行した。都市住民は農村に移住させられた。待っていたのは強制労働であった。

 ロン・ノル政権の関係者、知識人などは、次々と処刑されていった。いや、命令に従順でなければ、誰であろうと、その場で射殺された。

 大量虐殺も行われた。まさに一国全土が「強制収容所」となったのである。強制労働のなかで、飢えと疫病で死んでいく人が後を絶たなかった。

プノンペン陥落の直前、カンボジアを脱出できたメンバーもいた。高根八重という婦人と、その子どもたちである。

 彼女は一九五五年(昭和三十年)に母親の勧めで日本で入会した。その後、駐日カンボジア大使館の外交官であったパン・ソーレと結ばれ、六四年(同三十九年)にカンボジアに渡った。

 夫の父親は、シアヌーク政権下で政府の要職にあり、彼女たち一家が住むようになったのも、七千平方メートル近い敷地の家であった。

 しかし、七〇年(同四十五年)、ロン・ノルによってクーデターが起きると、夫は連行され、家も財産も、没収された。

 彼女は、自分に言い聞かせた。

“私は信心をしているのだ。こんなことで負けるわけにはいかない!”



語句の解説:  ◎農本主義/農業をもって立国の基本とする考え方のこと。