小説「新・人間革命」 人間外交48 4月28日

高根八重は必死に唱題し、夫のパン・ソーレが無事に帰って来るのを待った。幸いにも、夫は三カ月ほどで帰された。

 カンボジアには、親米反共のロン・ノル政権を支援するために、アメリカ軍と南ベトナム軍が進攻してきた。

 そして、「クメール・ルージュ」らの民族統一戦線と、内戦が繰り広げられていった。

 昼夜の別なく、爆弾が落とされ、ロケット弾が打ち込まれた。

 ある日、高根の長男が自転車に乗っている時、わずか一メートルほど先でロケット弾が炸裂した。自転車もろとも吹き飛ばされたが、怪我一つせず、自転車を引いて帰ってきた。

 高根八重は“守られた!”と思った。感謝の深い祈りを捧げた。

 戦闘は次第に激しくなり、ポル・ポトの「クメール・ルージュ」が優勢になっていった。

 各国の商社などの企業は、次々とカンボジアから引き揚げ始めた。

 日本大使館は、日本人の出国のために、ロン・ノルクメール共和国政府に査証(ビザ)を申請し、パスポートを発給してくれた。

 これで、高根と四人の子どもたちは、カンボジアから出ることができるようになったが、カンボジア人である夫の出国は許されなかった。

 彼女と子どもたちは、出国のために、直ちに航空券を手に入れる必要があった。

 しかし、内戦状態のカンボジアの紙幣は、紙くず同然であり、米ドルを用意しなければ購入できなかった。

 夫は、約二十年分の給料に相当する金額を払って、航空券を購入してくれた。

 だが、なんと、その時には、既に国外への便はなかった。彼女は祈った。ひたすら祈った。

 すると、知人が「故障して修理に出していた飛行機が戻ってくる。もうこれしか飛行機は飛ばないだろうから、明朝、それに乗るといい」と、密かに知らせてくれた。

 高根は、この嵐のような運命も、“断じて信心で切り抜け、勝ってみせる”と決意していた。

 フランスの哲学者アランは記している。

 「人間に苦境を脱出する力があるとしたら、人間自身の意志の中だけだ」(注)

 信仰とは意志力だ。



引用文献:  注 アラン著『幸福論』神谷幹夫訳、岩波書店