小説「新・人間革命」 共鳴音27 6月19日
ペッチェイ博士との会談を終えた山本伸一と峯子は、会館を隈なく見て回った。
会館には連日、ヨーロッパ各地からメンバーが訪れ、伸一を囲んで懇談会などがもたれてきた。
彼は、陰の力として、それを支えてきた役員をねぎらい、励ましたかったのである。
食堂に行くと、白衣に身を包んだ数人のメンバーが、懸命に食材を仕込んでいた。会食の料理や役員の食事などを担当してくれているメンバーである。料理人や菓子職人であった。
「ご苦労様です。いつもありがとう!」
伸一はこう言うと、深々と頭を下げた。皆、驚きと感激と、恐縮した表情で伸一を見つめた。
ヨーロッパ会議の議長である川崎鋭治が、二十代半ばの、温厚そうな日本人青年を紹介した。
「先生、このメンバーの中心になっている千田芳人さんです。彼は、菓子職人で、先日、行われた菓子コンクールで金賞を受賞しました」
そのコンクールは、フランスの菓子コンクールのなかでも伝統と権威がある、「シャルル・プルースト杯コンクール」であった。
そこで彼は、日本人初の金賞受賞者となったのである。
伸一は手を差し出し、千田と握手を交わしながら言った。
「おめでとう! すばらしい。苦労が報われましたね。
仏法というのは道理なんです。自分が苦労し、努力したことを、必ず結実させていけるのが信心なんです」
千田は、伸一の手を強く握り締めながら、自分の来し方を思い起こしていた。
彼がパリに来たのは、七年前のことであった。
千田の実家は、東京でパンと洋菓子の店を営んでいた。父親に菓子の品評会に連れて行かれるうちに菓子に魅了され、高校時代に菓子職人になることを決意した。
“ぼくは、日本一の菓子職人になろう!”
どうせなら、洋菓子の本場であるパリで修業しようと、高校卒業後、パリに渡ったのである。
「いやしくもなんらかの道にたずさわる人は、最高のものをめざして努力すべきである」(注)とは、文豪ゲーテの箴言である。
何事も、志にこそ、成否のカギがある。
引用文献: 注 「芸術論」(『ゲーテ全集13』所収)芦津丈夫訳、潮出版社
会館には連日、ヨーロッパ各地からメンバーが訪れ、伸一を囲んで懇談会などがもたれてきた。
彼は、陰の力として、それを支えてきた役員をねぎらい、励ましたかったのである。
食堂に行くと、白衣に身を包んだ数人のメンバーが、懸命に食材を仕込んでいた。会食の料理や役員の食事などを担当してくれているメンバーである。料理人や菓子職人であった。
「ご苦労様です。いつもありがとう!」
伸一はこう言うと、深々と頭を下げた。皆、驚きと感激と、恐縮した表情で伸一を見つめた。
ヨーロッパ会議の議長である川崎鋭治が、二十代半ばの、温厚そうな日本人青年を紹介した。
「先生、このメンバーの中心になっている千田芳人さんです。彼は、菓子職人で、先日、行われた菓子コンクールで金賞を受賞しました」
そのコンクールは、フランスの菓子コンクールのなかでも伝統と権威がある、「シャルル・プルースト杯コンクール」であった。
そこで彼は、日本人初の金賞受賞者となったのである。
伸一は手を差し出し、千田と握手を交わしながら言った。
「おめでとう! すばらしい。苦労が報われましたね。
仏法というのは道理なんです。自分が苦労し、努力したことを、必ず結実させていけるのが信心なんです」
千田は、伸一の手を強く握り締めながら、自分の来し方を思い起こしていた。
彼がパリに来たのは、七年前のことであった。
千田の実家は、東京でパンと洋菓子の店を営んでいた。父親に菓子の品評会に連れて行かれるうちに菓子に魅了され、高校時代に菓子職人になることを決意した。
“ぼくは、日本一の菓子職人になろう!”
どうせなら、洋菓子の本場であるパリで修業しようと、高校卒業後、パリに渡ったのである。
「いやしくもなんらかの道にたずさわる人は、最高のものをめざして努力すべきである」(注)とは、文豪ゲーテの箴言である。
何事も、志にこそ、成否のカギがある。
引用文献: 注 「芸術論」(『ゲーテ全集13』所収)芦津丈夫訳、潮出版社